桜井昌司『獄外記』
 2011年12月7日(水)


 〈 http://blog.goo.ne.jp/syouji0124/e/1fa2af821d5abd59a47a2c7c3ae6cf53 〉 より
 
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小島裕史、松島昭彦、田中敦、大西勝也、根岸重治、河合伸一、福田博、この連中が、福井女子中学生殺人事件で有罪判決を下した裁判官たちだ。

小島が高裁の裁判長、大西が最高裁の裁判長だ。

ヤクザ者の虚言を見抜けない間抜けな判事たちだが、このうち小島は、今度の再審開始決定でテレビ局が取材に行ったらば、会うのを拒否して逃げてしまったらしい。

それは疚しいだろうが、人の人生を曲げてしまったのだ。責任として一言あるべきだろう。

裁判官として人を裁くことは、それで終わるわけではない。時を越え、時代も越えて下した判断の責任な付いて回る。そのことを心して欲しいものだ。

福井事件の犯罪者たちの7名は、東京で弁護士をしている小島以外、その消息は知らないが、死んでいれば地獄、生きていれは、これから誤った責任が追及されよう。


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 【NewsSpiral】(10/3)山口一臣:これが判決文コピペ事件だ!(『《THE JOURNAL》』)より
 
 http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/10/post_803.html
 
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 山口一臣:これが判決文コピペ事件だ!

 まず、西松建設の国沢幹雄元社長に対する検察側冒頭陳述を引用する。

 〈 すなわち、岩手県下または一部秋田県下の公共工事の受注を希望するゼネコンは、小沢事務所に対し、自社を談合の本命業者とする「天の声」を出してほしい旨陳情し、同事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し、仕切り役において、当該ゼネコンが真実「天の声」を得ていることを直接同事務所に確認のうえ、当該ゼネコンを当該工事の本命業者とする旨の談合が取りまとめられていた〉

 これが大久保元秘書らに対する判決で、こうコピペされていた!

 〈 岩手県等の公共工事の受注を希望するゼネコンは、小沢事務所の担当の秘書に対し、談合において本命業者となることの了解を与えてほしい旨の陳情に赴き、当該秘書の了承が得られると、鹿島建設の仕切役にその旨を連絡していた。連絡を受けた仕切役は、当該秘書に確認を取るなどした上で小沢事務所の意向に沿ったゼネコンを本命業者とする談合を取りまとめ、この談合に沿った入札 落札が行われて、本命業者が受注業者として決定されていたのである〉

 要するに、登石郁朗裁判長以下、今回の裁判官たちは、はなから検察の意向に沿った判決を書こうとしていたということだろう。検察の主張をそのままコピペして判決文を書くとは、裁判官にプライドはないのだろうか。いずれにしても、これは今回の判決の異常性の証拠のひとつにしか過ぎない。

 判決の決定的矛盾については、また後で書く。

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 「kojitakenの日記」より抜粋 (2011年9月3日)
  http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110903/1315025877  

 高木俊夫裁判長

 高木俊夫については、昨年再審で無罪が確定した足利事件で、1996年に控訴棄却の判決を下した裁判長であるとともに、1999年には狭山事件の再審請求棄却の判断を下した裁判長であると知り、これにはびっくり。高木俊夫とは、これら2件に「東電OL殺人事件」を加えた計3件で、検察に寄り添った「事なかれ主義」の判決を下した男だった。

 本書にはもちろん上記の事実が指摘されているし、青法協脱退後、事なかれ主義の判決を次々と下していく高木を描いた章には「転向」というサブタイトルがつけられている。日本に根強い「同調圧力」の形成に大きく加担したこの高木俊夫だが、残念ながら2008年に72歳で死去しており、本書で著者の知人のフリージャーナリストの意見を引用する形で「精神鑑定が必要」とまでこき下ろされた高木俊夫の責任を問うことはもはやできない。足利事件は長い年月をかけてようやく一昨年に再審が認められ、昨年無罪が確定したが、狭山事件や本書で取り上げられた「東電OL殺人事件」は再審請求が認められるに至っていない。



 江川紹子 Twitter より(2011年7月21日)

 大渕敏和裁判長(東京地裁)

 ◆井嶋一友(検察官出身)
 ◆大出峻郎(行政官出身)
 ◆町田顕(裁判官出身)

 ◆高木俊夫裁判長(東京高裁)
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 リクルート事件労働省ルートで元次官を逆転有罪
 他に足利事件の2審で菅家さんを有罪
 狭山事件の第二次再審請求を棄却
 07年春の叙勲で瑞宝重光章。
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 ◆藤田宙靖(ときやす)裁判長(最高裁第三小法廷)


1)東電OL事件。
 1997年3月に東京都渋谷区のアパートで39歳の東電女子社員の遺体が発見され、近くに住んでいたネパール人男性が、当初は入管法違反(不法残留)で逮捕・起訴され、有罪判決を受けた直後に、強盗殺人容疑で逮捕された。自白はなく、被告人と事件を結びつける決定的な証拠もない

2)検察は、状況証拠の積み重ねで有罪を主張。これに対し一審の東京地裁(大渕敏和裁判長)は、慎重な審理と「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫いて無罪に。釈放された被告人を検察が再び身柄拘束したことについての最高裁の判断は分かれた。

3)結局、井嶋一友(検察官出身)、大出峻郎(行政官出身)、町田顕(裁判官出身)の3氏の多数意見で合憲とした。2審の東京高裁(高木俊夫裁判長)はわずか4ヶ月の審理で逆転有罪、無期懲役。03年10月に最高裁第三小法廷(藤田宙靖(ときやす)裁判長)も高裁判決を支持して有罪が確定。

4)犯人とされたネパール人男性は、以後、刑務所で服役している。ちなみに、逆転有罪とした高木俊夫裁判長は、リクルート事件労働省ルートでも元次官を逆転有罪とし、他に足利事件の2審で菅家さんを有罪とし、狭山事件の第二次再審請求を棄却した裁判長。07年春の叙勲で瑞宝重光章。(了)



積み上げ方式です(下から順に読みあげます)


江川紹子のツイッターより転載(http://twitter.com/#!/amneris84) より (01/06/2011)

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弁護団が懸命に交渉下結果、やっとマスコミ用の要旨が渡されたが、神田大助裁判長率いる裁判所は、それすら法廷が終わったら「返せ」と要求した、との話を聞いて、わらしは
唖然とした。
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もし、神田大助裁判長が検察側のみに判決文を渡したことについてちゃんと説明しないなら、最高裁が国民に納得がいくような説明をすべきではにゃいか
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判決については、裁判官が語らないのは分かるけど、判決文を検察官だけにこっそり渡したことについては、神田大助裁判長自身がちゃんと説明すべきだと思う
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判決っていうのは、裁判所が確信をもって出した結論でしょ。それを、国民の前にも、弁護人も前にも示せず、こっそり検察官だけに渡すっていうのはどういうことなんでしょうね。神田大助裁判長の説明が聞きたいですにゃ
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当然だ~だって、神田大助裁判長は、自分の判決文を検察側だけにこっそり渡して、弁護人には渡さず、マスコミに渡した要旨さえ、見せたがらなかったという異常さですよ~マスコミ用の文書を弁護団には返せと言ったそうですから
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神田大助裁判長の対応は、あまりにアンフェアだと思う。じゃあ、彼は有罪の時には、弁護人だけに判決を渡して、検察には隠しておくのか。ありえにゃい!こういうアンフェアな裁判官が存在すること自体、裁判所の信用を失うと最高裁は判断すべきだにゃ
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神田大助裁判長の対応は異常ですね。だって、裁判所が出す判決を検察だけにこっそり渡して、弁護人にも、国民にもできるだけ隠しておきたい、ということですよ。最高裁は、これを黙認するのでしょうか...
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布川事件の神田大助裁判長は、マスコミに渡した判決要旨さえ、弁護人に渡すことを拒み、最終的にやっと渡したものの、後で回収しろと命じたとのこと。弁護人には、判決文は最後まで知らせたくないというのはほわい?
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(続)それを隠したのみならず、検察側のみにこっそり渡したということに、神田大助裁判長の公正さが大いに疑われる。神田氏は出世頭のエリート裁判官だとの評判だが、こういう感覚の裁判官が出世したりするようなことがあってはならにゃいと思うにゃり。
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布川事件は、当初3月16日に予定されていた。それにあわせて判決文を書いたのだから、震災の影響で5月24日になった時に準備されていないことが異常。弁護人はもちろん、メディアにも骨子、要旨、本文が発表されるべき事案。なのに本文が容易されていないことに、びっくりした。(続く)
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布川事件の再審裁判をやった水戸地裁土浦支部は、法廷で読み上げた判決文を弁護人にもメディアにも提供せず、こっそり検察官だけに渡していた。余りにアンフェアだけでなく、判決文の社会的意味を全く理解していないことに唖然とする。



 法学館憲法研究所

 憲法関連論文・書籍情報(論文「普天間飛行場移設」・

 論稿「憲法違反の裁判官たち」----→2009年11月30日UP)

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 論稿「憲法違反の裁判官たち」
 H・O

 雑誌「冤罪File」09年12月号に収載された論稿で、5人の裁判官が

 刑事裁判における誤判によって冤罪被害者をつくり出したとし、名指しで

 「憲法違反の裁判官たち」とされています。

 
 裁判も国家権力の行使であり、それは国民から監視される必要があります。

 この論稿は、無辜が罰せられてはならないという立場から、裁判官の判断を

 検証するものです。刑事裁判への市民参加=裁判員制度が始まる中で、

 国民の裁判への関心を一層高め、裁判を見る視点を提供するものになって

 います。
 

 なお、ここでとりあげられた裁判官たちがどのように「憲法違反」なのかは、

 より厳密に検証されるべきと考えます。当然、裁判官たちにも自分の仕事を

 絶えず検証してもらわなければなりません。しかし、仮に裁判官が誤った判断

 をした場合でも、その要因の分析が重要でしょう。

 裁判官たちが日々どのような考え方で裁判をしているのか、どのような努力を

 しているのか、その努力を阻んでいるものは何か、等々を掘り下げて考えて

 みたいものです。

 なお、当研究所は元裁判官たちによる連続講演会「日本国憲法と裁判官」を

 開催していますが、ぜひ多くの方々に元裁判官たちの声を聞いていただき

 たいと思います。

 次回の講演会は次の通りです。


 2009年12月3日(木)18時~伊藤塾東京校にて。講師は山口忍さん・園田秀樹

 さん(いずれも元裁判官)。くわしくはこちら。

 
 元裁判官・守屋克彦さんの講演の映像については当サイトのこちらから

 ご覧いただけます。
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  『冤罪ファイル』No.08
  
http://enzaifile.com/
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 憲法違反の
 裁判官たち など
 
 神戸質店主強盗殺人事件・徳島
 ラジオ商殺人事件・北海道庁爆
 破事件・鈴村事件ほか
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 【朝日新聞】
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 定年最高裁判事の後任に3人任命 鳩山内閣、慣例を踏襲
 2009年11月27日12時15分

 鳩山内閣は27日の閣議で、12月から1月にかけて70歳の定年を迎える、

 最高裁の中川了滋判事(弁護士出身)、今井功判事(裁判官出身)、

 甲斐中辰夫判事(検察官出身)の後任としてそれぞれ、弁護士の須藤正彦氏、

 仙台高裁長官の千葉勝美氏、元次長検事で弁護士の横田尤孝氏をあてる

 人事を決めた。

 政権交代後、最高裁判事が交代するのは初めてで、鳩山政権がどのような人を

 任命するのかが注目されていた。これまでの慣例通り、退官者と同じ出身母体

 から選ばれた。

 中川氏は12月22日、今井氏は同月25日、甲斐中氏は来年1月1日に定年を

 迎える。後任の3人が正式に任命される日付は未定。
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 【毎日新聞】
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 人事:最高裁判事 定年退官3人の後任決定
 
 政府は27日の閣議で、近く定年退官する最高裁判事3人の後任人事を
決めた。

 12月22日退官の中川了滋氏(69)の後任に東京弁護士会所属の須藤正彦

 弁護士(66)、同25日退官の今井功氏(69)の後任に千葉勝美・仙台高裁

 長官(63)、来年1月1日退官の甲斐中辰夫氏(69)の後任に横田尤孝・

 元最高検次長検事(65)を任命する。

 政権交代後、初の最高裁判事人事として注目された。

 退官する中川氏は弁護士、今井氏は裁判官、甲斐中氏は検事出身で、後任も

 同じ出身母体から選ばれた。

 これまでは▽東京弁護士会▽第一東京弁護士会▽第二東京弁護士会

 ▽大阪弁護士会--の出身者が判事となり、後任も同じ弁護士会所属の

 弁護士から選ばれてきたが、今回は第一東京弁護士会出身の中川氏の

 後任に東京弁護士会出身者が充てられた。【銭場裕司】

 須藤正彦(すどう・まさひこ)氏 66年中央大法卒。70年弁護士登録。

 東京弁護士会副会長、司法研修所教官、日弁連綱紀委員長などを歴任。

 栃木県出身。

 千葉勝美(ちば・かつみ)氏 70年東京大法卒。72年判事補任官。甲府地裁所長、

 最高裁首席調査官などを経て08年11月から仙台高裁長官。北海道出身。

 横田尤孝(よこた・ともゆき)氏 69年中央大法卒。72年検事任官。

 広島高検検事長、最高検次長検事などを歴任。07年10月に退官し現在は

 弁護士。千葉県出身。

 毎日新聞 2009年11月27日 12時20分(最終更新 11月27日 12時25分)
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 【NHK】
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 11月27日 15時12分


 政府は27日の閣議で、最高裁判所の新しい判事に、弁護士の須藤正彦氏、

 仙台高等裁判所長官の千葉勝美氏、それに元次長検事の横田尤孝氏の3人を

 起用する人事を決めました。この人事は、須藤氏と千葉氏は来月28日以降、

 横田氏は来年1月4日以降に発令されることになっています。

 この人事は、最高裁判所の中川了滋判事、今井功判事、甲斐中辰夫判事の

 3人が来年1月までにそれぞれ定年退官するのに伴うものです。

 このうち、新しい最高裁判所の判事に決まった須藤氏は66歳。弁護士で、

 東京弁護士会の副会長や司法研修所の教官などを務めました。千葉氏は

 63歳。甲府地方・家庭裁判所の所長や最高裁判所首席調査官などを経て、

 去年11月から仙台高等裁判所の長官を務めています。横田氏は65歳。

 奈良地方検察庁の検事正や広島高等検察庁の検事長などを経て、平成18年に

 次長検事に就任し、おととし10月に定年退官しました。
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 ◎検察官との関係2

 

  前に検察官と刑事裁判官の接触の濃さに触れたが、裁判官は中立が原則だ。

 接触が多いからといって、検察側に有利な判決が出る訳ではない。その最たる

 ものが無罪判決だ。検察は100%有罪と確信する事件しか起訴してこなかった

 ので、無罪判決はその仕事を全否定されるに等しい。一方で、裁判官の中には

 無罪判決を出しそうにないタイプもいる。日々傍聴し取材していると何となく

 分かってくる。

  だから、無罪判決を出した裁判官に対し、検察側が悪感情を抱くのも不思議で

 はない。検察幹部の口から、特定の裁判官への批判・不満を非公式に聞くこと

 は少なくない。私がウオッチした地方裁判所にも無罪判決を出す裁判官がいた

 が、検察側は担当替えで敏腕と評価の高い検事をその刑事部にぶつけるシフト

 を敷いた。

  また、裁判官と検察官の組み合わせで、接し方が目に見えて異なることもある。

 前回述べた通り裁判官と検察官は同じ顔ぶれで恒常的に接することが多いが、

 ある裁判官は新人の検察官に厳しく、証拠の要旨の告知などでまだ不慣れな

 その検察官がまごついていると、傍聴人にも分かる不機嫌な口調で注意を

 促す場面が幾度となく見られた。一方で別の裁判官は、やはり新人の検察官が

 ぎこちなくても、笑顔を浮かべ優しく接していた。ちなみにいずれの裁判官も

 男性で、前者の検察官は男性、後者は女性だった。もっとも、いずれの場合も、

 検察官を一人前に育てる指導だったように思えるが。

◎検察官との関係 1

 

 裁判官は中立が原則だ。刑事の裁判官は検察官と弁護人(弁護士)の

 いずれにも距離を保たねばならない。だが、日常の接触は検察官との

 方が圧倒的に濃厚だ。なぜか。
 
 それは検察官と弁護士の数と業務が違うからだ。私がウオッチした

 地方裁判所の管内では、公判を担当する検察官は数人なのに対し、

 弁護士は数百人いる。さらに検察官は刑事事件しか担当しないが、

 弁護士は刑事事件よりもはるかに数の多い民事事件を担当することの

 方が多い。つまり、裁判官の側からみれば、特定の検察官と特定の

 弁護士では審理で顔を合わせる頻度に数十倍から数百倍の差がある。
 
 また、その地裁では刑事は三つの部に分かれており、裁判官はもちろん、

 検察官も部ごとに固定していた。注目されない事件も含めると、刑事裁判官は

 多い日は10件前後を審理する。事件ごとに弁護人は異なるが、裁判官と

 検察官は同じ顔ぶれなのだ。
 
 接触は法廷だけではない。ある時、裁判官室とつながっている書記官室で

 検察官の姿を見た。検察官は書記官と談笑していたが、そこに裁判官が

 通りかかった。さっきまで法廷で四角張った表情でやりとりしていた二人が

 一転、気軽な雑談を交わしていた。

 

 1970年から1998年までの死刑判決に関しての裁判官を
 まとめてみました。

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 しかし、名張毒ぶどう酒事件などの最高裁死刑判決(確定)は、

 1972年である。

 あれから何年がたっているのか。

 被告は83歳だというのに。

 歴代の最高裁の判事は、この期間をどう解釈するのだろうか?

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 <出典>
 
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/cplist.html

 
 死刑執行時の首相と法務大臣も取りあげています。
 名前の後ろに◆マーク

 <出典>
 
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sikeisikkou.htm

 

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 松本美佐雄

 1998年12月1日 最高裁第三小法廷 元原利文裁判長 上告棄却 死刑確定
 1994年9月29日 東京高裁       小林充裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1993年9月24日 前橋地裁高崎支部 佐野精孝裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 村松誠一郎

 1998年10月8日 最高裁第一小法廷 小野幹雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1992年6月29日 東京高裁       新谷一信裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1985年9月26日 浦和地裁       林修裁判長        死刑判決

 首相:
 法相:

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 柴嵜正一

 1998年9月17日 最高裁第一小法廷 井嶋一友裁判長 上告棄却 死刑確定
 1994年2月24日 東京高裁       小林充裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1991年5月27日 東京地裁       中山善房裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 藤波知子

 1998年9月 4日 最高裁第二小法廷   河合伸一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1992年3月31日 名古屋高裁金沢支部 浜田武律裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1988年2月 9日 富山地裁               大山貞雄裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 浜田美輝◆(02. 9.18執行 51歳没)

 1998年 6月 3日 本人取り下げ、死刑確定
 1998年 5月15日 岐阜地裁 沢田経夫裁判長 死刑判決

 首相:小泉純一郎
 法相:森山真弓

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 春田竜也◆(田本竜也:02. 9.18執行 36歳没)

 1998年4月23日 最高裁   遠藤三雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1991年3月26日 福岡高裁 前田一昭裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1988年3月30日 熊本地裁 荒木勝己裁判長 死刑判決

 首相:小泉純一郎
 法相:森山真弓

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 神宮雅晴

 1997年12月19日 最高裁第三小法廷 園部逸夫裁判長  上告棄却 死刑確定
 1993年 4月30日 大阪高裁       村上保之助裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1988年10月25日 大阪地裁       青木暢茂裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 大城英明

 1997年9月11日 最高裁第一小法廷 藤井正雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1991年12月9日 福岡高裁       雑賀飛龍裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1985年5月31日 福岡地裁飯塚支部 松信尚章裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 松原正彦◆(08. 2. 1執行 63歳没)
 
 1997年4月28日 最高裁第二小法廷 根岸重治裁判長 上告棄却 死刑確定
 1992年1月23日 高松高裁       村田晃裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1990年5月22日 徳島地裁       虎井寧夫裁判長      死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 中元勝義◆(08. 4.10執行 64歳没

 1997年1 月28日 最高裁第三小法廷 可部恒雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1991年10月27日 大阪高裁            池田良兼裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1985年5 月16日 大阪地裁堺支部    重富純和裁判長      死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 向井伸二◆(旧姓:前原伸二 03. 9.12執行 42歳没)

 1996年12月17日 最高裁第三小法廷 尾崎行信裁判長 上告棄却 死刑確定
 1990年10月3日 大阪高裁        池田良兼裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1988年2月26日 神戸地裁        加藤光康裁判長 死刑判決

 首相:小泉純一郎
 法相:森山真弓

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 朝倉幸治郎◆(01.12.27執行 66歳没)

 1996年11月14日 最高裁第一小法廷 高橋久子裁判長 上告棄却 死刑確定
 1990年 1月23日 東京高裁       高木典雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1985年12月20日 東京地裁       柴田孝夫裁判長      死刑判決

 首相:小泉純一郎
 法相:森山真弓

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 山野静二郎

 1996年10月25日 最高裁第二小法廷 福田博裁判長  上告棄却 死刑確定
 1989年10月11日 大阪高裁       西村清治裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1985年 7月22日 大阪地裁       池田良兼裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 池本登◆(07.12.7執行 74歳没)
 
 1996年 3月 4日 最高裁第二小法廷 河合伸一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1989年11月28日 高松高裁      村田晃裁判長  一審破棄 死刑判決
 1988年 3月22日 徳島地裁       山田真也裁判長      無期懲役判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 澤地和夫/猪熊武夫

 1993年  7月7日 澤地被告のみ上告取り下げ、死刑確定
 1995年  7月3日 最高裁第二小法廷 大西勝也裁判長 上告棄却 死刑確定

 1989年 3月31日 東京高裁       内藤丈夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1987年10月30日 東京地裁      中山善房裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 藤島光雄
 
 1995年 6月 8日 最高裁第一小法廷 高橋久子裁判長 上告棄却
                          死刑及び懲役1年6月確定
 1988年12月15日 東京高裁      石丸俊彦裁判長 控訴棄却
                          死刑及び懲役1年6月判決
 1987年 7月 6日 甲府地裁         古口満裁判長  死刑及び懲役1年6月判決

 首相:
 法相:

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 大石国勝◆(00.11.30執行 55歳没)

 1995年 4月21日 最高裁第二小法廷 中島敏次郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1989年10月24日 福岡高裁       丸山明裁判長   控訴棄却 死刑判決支持
 1987年 3月12日 佐賀地裁       早船嘉一裁判長       死刑判決

 首相:森善朗
 法相:保岡興治

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 大森勝久

 1994年7月15日 最高裁第二小法廷 大西勝也裁判長  上告棄却 死刑確定
 1988年1月21日 札幌高裁            水谷富茂人裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1983年3月29日 札幌地裁            生島三則裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 宮脇喬◆(00.11.30執行 57歳没)

 1994年 3月 7日 上告取り下げ、死刑確定
 1990年 7月16日 名古屋高裁 吉田誠吾裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1989年12月14日 岐阜地裁  橋本達彦裁判長 死刑判決
 
 首相:森善朗
 法相:保岡興治

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 藤原清孝◆(旧姓:勝田清孝 00.11.30執行 52歳没)

 1994年1月17日 最高裁第一小法廷 小野幹雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1988年2月19日 名古屋高裁      吉田誠吾裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1986年3月24日 名古屋地裁      橋本享典裁判長      死刑判決

 首相:森善朗
 法相:保岡興治

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 太田勝憲◆(99.11. 8自殺 55歳没)

 1993年12月10日 最高裁第三小法廷 大野正男裁判長  上告棄却 死刑確定
 1987年 5月19日 札幌高裁       水谷富茂人裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1984年 3月23日 札幌地裁       安藤正博裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 牧野正◆(09. 1.29執行 58歳没)

 1993年11月16日 控訴取り下げ、確定
 1993年10月27日 福岡地裁小倉支部 森田富人裁判長 死刑判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 竹内敏彦◆(旧姓:長谷川敏彦 01.12.27執行 51歳没)

 1993年9月21日 最高裁第三小法廷 園部逸夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1987年3月31日 名古屋高裁      山本卓裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1985年12月2日 名古屋地裁      鈴木雄八郎裁判長     死刑判決

 首相:小泉純一郎
 法相:森山真弓

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 藤波芳夫◆(06.12.25執行 75歳没)

 1993年  9月9日 最高裁第一小法廷 味村治裁判長 上告棄却  死刑確定
 1987年11月11日 東京高裁      岡田光了裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1982年 2月19日 宇都宮地裁     竹田央裁判長       死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚遠

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 澤地和夫/猪熊武夫◆(08.12.16病死 69歳没)

 1993年 7月7日  澤地被告のみ上告取り下げ、         死刑確定
 1995年 7月3日  最高裁第二小法廷 大西勝也裁判長 上告棄却 死刑確定

 1989年 3月31日 東京高裁       内藤丈夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1987年10月30日 東京地裁           中山善房裁判長           死刑判決

 首相:
 法相:

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  坂口弘/永田洋子

 1993年2月19日 最高裁第三小法廷 坂上寿夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1986年9月26日 東京高裁       山本茂裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1982年6月18日 東京地裁       中野武男裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 名田幸作◆(07. 4.27執行 56歳没)

 1992年9月29日 最高裁第三小法廷 貞家克己裁判長 上告棄却 死刑確定
 1987年1月23日 大阪高裁       家村繁治裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1984年7月10日 神戸地裁姫路支部 藤原寛裁判長       死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚遠

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 森川哲行◆(9. 9.10執行 69歳没)

 1992年9月24日 最高裁第一小法廷 大堀誠一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1987年6月22日 福岡高裁       浅野芳朗裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1986年 8月5日 熊本地裁        荒木勝己裁判長      死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:陣内孝夫

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 高田勝利◆(99. 9.10執行 61歳没)

 控訴せず確定
 1992年6月18日 福島地裁郡山支部 慶田康男裁判長 死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:陣内孝夫

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 佐藤真志◆(99. 9.10執行 62歳没)

 1992年2月18日 最高裁第三小法廷 可部恒雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1985年9月17日 東京高裁            寺沢栄裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1981年3月16日 東京地裁       松本時夫裁判長      死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:陣内孝夫

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 佐々木哲也

 1992年1月30日 最高裁第一小法廷 大堀誠一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1986年8月29日 東京高裁       石丸俊彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1984年3月15日 千葉地裁       太田浩裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 佐川和男◆(99.12.17執行 48歳没)

 1991年11月29日 最高裁第二小法廷 藤島昭裁判長  上告棄却 死刑確定
 1987年 6月23日 東京高裁       小野慶二裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1982年 3月30日 浦和地裁       米澤敏雄裁判長      死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:臼井日出男

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 津田暎◆(98.11.19執行 59歳没)

 1991年 6月11日 最高裁第三小法廷 園部逸夫裁判長  上告棄却 死刑確定
 1986年10月21日 広島高裁       村上保之助裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1985年 7月17日 広島地裁福山支部 雑賀飛龍裁判長       死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:中村正三郎

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 島津新治◆(98. 6.25執行 66歳没)

 1991年 2月5日 最高裁第一小法廷 可部恒雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1985年 7月8日 東京高裁       柳瀬隆治裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1984年1月23日 東京地裁       田尾勇裁判長       死刑判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:下稲葉耕吉

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 諸橋昭江◆(07. 7.17病死 75歳没)

 1991年1月31日 最高裁第一小法廷 四ツ谷巌裁判長 上告棄却 死刑確定
 1986年 6月5日 東京高裁       寺沢栄裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1980年 5月6日 東京地裁       小林充裁判長       死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 武安幸久◆(98. 6.25執行 66歳没)

 1990年12月14日 最高裁第二小法廷 中島敏次郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1986年 12月2日 福岡高裁             永井登志彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1981年 7月14日 福岡地裁     小倉支部          死刑判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:下稲葉耕吉

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 荒井政男◆(09. 9. 3病死 82歳没)

 1990年10月16日 最高裁第三小法廷  坂上寿夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1984年12月18日 東京高裁        小野慶二裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1976年 9月25日 横浜地裁横須賀支部 秦不二雄裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 晴山広元◆(04. 6. 4病死 70歳没)

 1990年9月13日 最高裁第一小法廷 角田礼次郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1979年4月12日 札幌高裁                           一審破棄 死刑判決
 1976年6月24日 札幌地裁岩見沢支部                           無期懲役判決

 首相:
 法相:

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 村竹正博◆(98. 6.25執行 54歳没)

 1990年 4月27日 最高裁第二小法廷  藤島昭裁判長  上告棄却 死刑確定
 1985年10月18日 福岡高裁        桑原宗朝裁判長 一審破棄 死刑判決
 1983年 3月30日 長崎地裁佐世保支部 亀井義朗裁判長      無期懲役判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:下稲葉耕吉

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 永山則夫◆(97. 8. 1執行 48歳没)

 1990年4月17日 最高裁第三小法廷 安岡満彦裁判長 上告棄却 死刑確定
 1987年3月18日 東京高裁       石田穣一裁判長 控訴棄却 死刑判決
 1983年 7月8日 最高裁第二小法廷  大橋進裁判長 二審破棄  高裁差戻
 1981年8月21日 東京高裁       船田三雄裁判長 一審破棄 無期懲役判決
 1979年7月10日 東京地裁       簑原茂広裁判長      死刑判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:松浦功

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 金川一

 1990年 4月3日 最高裁第三小法廷 安岡満彦裁判長 上告棄却 死刑確定
 1983年3月17日 福岡高裁       緒方誠哉裁判長 一審破棄 死刑判決
 1982年6月14日 熊本地裁八代支部 河上元康裁判長      無期懲役判決

 首相:
 法相:

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 平田光成◆(96.12.20執行 50歳没)/野口悟

 1988年10月22日 平田被告のみ上告取り下げ、死刑確定
 1990年 2月 1日  野口被告 
         最高裁第一小法廷   佐藤哲郎裁判長 上告棄却 死刑確定                         (退官のため四ツ谷巌判事が代読)
 1982年 1月21日 東京高裁     市川郁雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1980年 1月18日 東京地裁     小野幹雄裁判長      死刑判決

 
 首相:橋本龍太郎
 法相:松浦功

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 宇治川正(旧姓:田村正)

 1989年12月 8日 最高裁第二小法廷 島谷六郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1983年11月17日 東京高裁       山本茂裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1979年 3月15日 前橋地裁       浅野達雄裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 神田英樹◆(97. 8. 1執行 43歳没)

 1989年11月20日 最高裁第二小法廷 香川保一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1986年12月22日 東京高裁       萩原太郎裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1986年 5月30日 浦和地裁        杉山忠雄裁判長      死刑判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:松浦功

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 藤井政安

 1989年10月13日 最高裁第三小法廷 貞家克己裁判長 上告棄却 死刑確定
 1982年  7月1日 東京高裁        船田三雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1977年 3月31日 東京地裁        林修裁判長        死刑判決

 首相:
 法相:

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 石田富蔵

 1989年 6月13日 最高裁第三小法廷 坂上寿夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1982年12月23日 東京高裁       菅間英男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1980年 1月30日 浦和地裁          杉山英巳裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 西尾立昭◆(98.11.19執行 61歳没)

 1989年3月28日 最高裁第三小法廷 安岡満彦裁判長 上告棄却 死刑確定
 1981年9月10日 名古屋高裁控訴棄却                      死刑判決支持
 1980年 7月8日 名古屋地裁                 死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:中村正三郎

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 今井義人◆(96.12.20執行 55歳没)

 1988年10月22日 上告取り下げ、死刑確定
 1985年11月29日 東京高裁 内藤丈夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1984年 6月 5日 東京地裁   佐藤文哉裁判長      死刑判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:松浦功

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 平田光成◆(96.12.20執行 60歳没)

 1988年10月22日 平田被告のみ上告取り下げ、死刑確定
 1990年 2月 1日  野口被告 
         最高裁第一小法廷 佐藤哲郎裁判長 上告棄却 死刑確定
           (退官のため 四ツ谷巌判事が代読) 
 1982年 1月21日 東京高裁    市川郁雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1980年 1月18日 東京地裁    小野幹雄裁判長 死刑判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:松浦功

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 日高安政/日高信子◆(97. 8. 1執行 安政54歳没/信子51歳没)

 安政被告:1988年10月13日 控訴取り下げ、死刑確定
 信子被告:1988年10月11日 控訴取り下げ、死刑確定

 1987年3月9日 札幌地裁 鈴木勝利裁判長 死刑判決

 首相:橋本龍太郎
 法相:松浦功

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 石田三樹男◆(96. 7.11執行 48歳没)

 1988年 7月1日 最高裁第二小法廷 奥野久之裁判長 上告棄却 死刑確定
 1984年3月15日 東京高裁       寺沢栄裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1982年12月7日 東京地裁         大関規雄裁判長      死刑判決
 
 首相:橋本龍太郎
 法相:長尾立子

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 渡辺清

 1988年6月 2日 最高裁第一小法廷 高島益郎裁判長上告棄却   死刑確定
             (逝去のため、四ツ谷巌裁判官が代読) 
 1978年5月30日 大阪高裁      西村哲夫裁判長 一審破棄  死刑判決
 1975年8月29日 大阪地裁      大政正一裁判長       無期懲役判決
 
 首相:
 法相:

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 篠原徳次郎◆(95.12.21執行 68歳没)

 1988年 5月20日 最高裁第二小法廷 奥野久之裁判長 上告棄却 死刑確定
 1985年 1月17日 東京高裁       
小野慶二裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1983年12月16日 前橋地裁       小林宣雄裁判長      死刑判決

 首相:村山富市
 法相:宮澤弘

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 綿引誠

 1988年4月28日 最高裁第一小法廷 角田礼次郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1983年3月15日 東京高裁       菅野英男裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1980年 2月8日 水戸地裁        大関隆夫裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 横山一美◆(96. 7.11執行 43歳没)
 杉本嘉昭◆(96. 7.11執行 49歳没)

 1988年4月15日 最高裁第二小法廷 香川保一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1984年3月14日 福岡高裁       緒方誠哉裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1982年3月16日 福岡地裁小倉支部 佐野精孝裁判長 死刑判決
 

 首相:橋本龍太郎
 法相:長尾立子

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 浜田武重

 1988年3月 8日 最高裁第三小法廷 伊藤正己裁判長 上告棄却 死刑確定
 1984年6月19日 福岡高裁       山本茂裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1982年3月29日 福岡地裁         秋吉重臣裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 平田直人◆(95.12.21執行 63歳没)

 1987年12月18日 最高裁第二小法廷 牧圭次裁判長  上告棄却 死刑確定
 1982年 4月27日 福岡高裁       平田勝雅裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1980年10月 2日 熊本地裁       辻原吉勝裁判長      死刑判決

 首相:村山富市
 法相:宮澤弘

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 小宅重徳◆(旧姓:田中重穂 95. 5.26執行 69歳没)

 1987年10月23日 最高裁第二小法廷 牧圭次裁判長 上告棄却  死刑確定
 1981年 7月 7日 東京高裁        市川郁雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1977年11月18日 東京地裁八王子支部             死刑判決

 首相:村山富市
 法相:前田勲

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 秋山芳光◆(06.12.25執行 77歳没)

 1987年 7月17日 最高裁第二小法廷 香川保一裁判  上告棄却 死刑確定
 1980年 3月27日 東京高裁       千葉和郎裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1976年12月16日 東京地裁       林修裁判長        死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚遠

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 木村修治◆(95.12.21執行 45歳没)

 1987年7月 9日 最高裁第一小法廷 大内恒夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1983年1月26日 名古屋高裁     村上★雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
                   (★:悦のへんがにんべん)
 1982年3月23日 名古屋地裁     塩見秀則裁判長      死刑判決

 首相:村山富市
 法相:宮澤弘

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 井田正道◆(98.11.19執行 56歳没)

 上告せず、確定
 1987年3月31日 名古屋高裁 山本卓裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1985年12月2日 名古屋地裁 鈴木雄八郎裁判長    死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:中村正三郎

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 大道寺将司/益永利明(旧姓:片山利明)

 1987年 3月24日 最高裁第三小法廷 伊藤正己裁判長 上告棄却 死刑確定
 1982年10月29日 東京高裁       内藤丈夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1979年11月12日 東京地裁       蓑原茂広裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 須田房雄◆(95. 5.26執行 53歳没)

 1987年 1月19日 本人控訴取り下げ、死刑確定
 1986年12月22日 東京地裁 宮島英世裁判長 死刑判決

 首相:村山富市
 法相:前田勲男

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 佐々木和三◆(94.12. 1執行 65歳没)

 1985年7月1日 本人控訴取り下げ、死刑確定
 1985年6月17日 青森地裁 守屋克彦裁判長 死刑判決

 首相:村山富市
 法相:前田勲男

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 安島幸雄◆(旧姓:小山幸雄 94.12. 1執行 44歳没)

 1985年4月26日 最高裁第二小法廷 牧圭次裁判長  上告棄却 死刑確定
 1980年2月20日 東京高裁       岡村治信裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1978年 3月8日 前橋地裁       浅野達男裁判長      死刑判決

 首相:村山富市
 法相:前田勲男

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 川中鉄夫◆(93. 3.26執行 48歳没)

 1984年9月13日 最高裁第一小法廷 矢口洪一裁判長 上告棄却 
                     懲役10年、死刑、無期懲役確定
 1982年5月26日 大阪高裁       八木直道裁判長 控訴棄却 
                     懲役10年、死刑、無期懲役判決支持
 1980年9月13日 神戸地裁       高橋通延裁判長 懲役10年、死刑、無期懲役判決

 首相:宮澤喜一
 法相:後藤田正晴

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 出口秀夫/坂口徹◆(93.11.26執行 出口70歳没/坂口56歳没)

 1984年 4月27日 最高裁第二小法廷 牧圭次裁判長 上告棄却 死刑確定
 1980年11月28日 大阪高裁            控訴棄却 死刑判決支持
 1978年 2月23日 大阪地裁       浅野芳朗裁判長     死刑判決

 首相:細川護煕
 法相:三ヶ月章

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 藤岡英次◆(95. 5.26執行 40歳没)

 控訴せず確定
 1983年4月14日 徳島地裁 山田真也裁判長 死刑判決

 首相:村山富市
 法相:前田勲男

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 関幸生◆(93.11.26執行 47歳没)

 上告せず確定
 1982年9月  1日 東京高裁 内藤丈夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1979年5月17日 東京地裁 金隆史裁判長 死刑判決

 首相:細川護煕
 法相:三ヶ月章

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 立川修二郎◆(93. 3.26執行 62歳没)

 1981年 6月26日 最高裁 木下忠良裁判長 上告棄却 死刑
                          及び無期懲役判決確定
 1979年12月18日 高松高裁 一審破棄 実母殺害:  死刑判決支持
                    妻殺害:  無期懲役判決
 1976年 2月18日 松山地裁      実母殺害:  死刑判決 
                    妻殺害:  死刑判決

 首相:宮澤喜一
 法相:後藤田正晴

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 小野照男◆(99.12.17執行 62歳没)

 1981年6月16日 最高裁 環昌一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1979年9月25日 福岡高裁             控訴棄却 死刑判決支持
 1978年9月18日 長崎地裁            死刑判決

 首相:小渕恵三
 法相:臼井日出男

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 小島忠夫◆(93.11.26執行 61歳没)

 1981年3月19日 最高裁   藤崎万里裁判長 上告棄却 死刑確定
 1977年8月23日 札幌高裁                 控訴棄却 死刑判決支持
 1975年9月17日 釧路地裁                           死刑判決

 首相:細川護煕
 法相:三ヶ月章

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 袴田巌

 1980年11月19日 最高裁  宮崎梧一裁判長 上告棄却 死刑確定
 1976年 5月18日 東京高裁 横川敏雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1968年 9月11日 静岡地裁 石見勝四裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 近藤清吉◆(93. 3.26執行 55歳没)

 1980年4月25日 最高裁 栗木一夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1977年6月28日 仙台高裁               控訴棄却      死刑判決支持
 1974年3月29日 福島地裁白河支部                      死刑判決

 首相:宮澤喜一
 法相:後藤田正

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 大濱松三

 1977年4月16日 控訴取り下げ、死刑確定
 1975年10月20日 横浜地裁小田原支部 死刑判決

 首相:
 法相:

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 富山常喜◆(03. 9. 3病死 86歳没)

 1976年4月1日 最高裁   藤林益三裁判長 上告棄却      死刑確定
 1973年7月6日 東京高裁 堀義次裁判長 一審破棄 一件(殺人未遂)無罪、
                    一件(殺人)につき 死刑判決
 1966年12月24日 水戸地裁土浦支部 田上輝彦裁判長     死刑判決

 首相:
 法相:

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 奥西勝

 2006年12月26日 名古屋高裁 門野博裁判長 検察側からの異議申立を認め、
                      再審開始決定を取り消した

 2005年 4月 5日 名古屋高裁 小出ジュン一裁判長 再審開始 決定

 1972年 6月15日 最高裁   上告棄却 死刑確定
 1969年 9月10日 名古屋高裁 一審破棄 死刑判決
 1964年12月13日 津地裁 小川潤裁判長 無罪判決 (証拠不十分のため)

 首相:
 法相:

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 尾田信夫

 1998年10月29日までに 最高裁第三小法廷  金谷利広裁判長 特別抗告棄却
 1993年 4月      福岡高裁刑事二部         池田憲義裁判長 抗告を棄却

 1970年11月12日 最高裁  上告棄却 死刑確定
 1970年 3月20日 福岡高裁 控訴棄却 死刑判決支持
 1968年12月14日 福岡地裁      死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 1999年から2009年10月5日までの死刑判決に関しての裁判官を
 まとめてみました。

 <出典>
 
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/cplist.html

 
 死刑執行時の首相と法務大臣も取りあげています。
 名前の後ろに◆マーク

 <出典>
 
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sikeisikkou.htm


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 早川紀代秀

 2009年7月17日 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年5月14日 東京高裁       中川武隆裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
  2000年7月28日 東京地裁       金山薫裁判長  死刑判決

 首相:
 法相:
 

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 小日向将人

 2009年7月17日 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年5月14日 東京高裁       中川武隆裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2000年7月28日 東京地裁       金山薫裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 高橋秀

 2009年6月23日 最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年7月26日 仙台高裁       田中亮一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2004年3月25日 仙台地裁       本間栄一裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 宮城吉英

 2009年6月15日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
 2006年10月5日 東京高裁       池田修裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2005年12月12日 千葉地裁       金谷暁裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 小野川光紀

 2009年6月9日   最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
 2006年9月29日 東京高裁       白木勇裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2004年3月25日 さいたま地裁     川上拓一裁判長 死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 関根元/風間博子

 2009年6月5日   最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年7月11日 東京高裁       白木勇裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2001年3月21日 浦和地裁       須田贒※裁判長      死刑判決

                         (※=賢の又を忠)

 首相:
 法相:

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 林真須美

 2009年4月21日  最高裁第三小法廷 那須弘平裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年6月28日  大阪高裁       白井万久裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2002年12月11日 和歌山地裁     小川育央裁判長 死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 神田司

 2009年4月13日 本人控訴取り下げ、確定
 2009年3月18日 名古屋地裁 近藤宏子裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 松田幸則

 2009年4月3日  本人上告取り下げ、確定
 2007年10月3日 福岡高裁 仲家暢彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2006年9月21日 熊本地裁 松下潔裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 幾島賢治

 2009年3月25日   最高裁第二小法廷  今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
 2006年10月12日 名古屋高裁金沢支部 安江勤裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2005年1月27日  富山地裁         手崎政人裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 藁科稔 ◆(09. 5. 2病死 56歳没)

 2009年1月22日 最高裁第一小法廷  涌井紀夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2006年2月16日 名古屋高裁金沢支部 安江勤裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2004年3月26日 富山地裁        神沢昌克裁判長 死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 江藤幸子

 2008年9月16日   最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年11月22日 仙台高裁       田中亮一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2002年5月10日  福島地裁       原啓(あきら)裁判長 死刑判決 

 首相:
 法相:

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 八木茂

 2008年7月17日 最高裁第一小法廷 泉徳治裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年1月13日 東京高裁       須田賢裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2002年10月1日 さいたま地裁     若原正樹裁判長 死刑判決 
 
 首相:
 法相:

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 上部康明

 2008年7月11日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年6月28日 広島高裁       大渕敏和裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2002年9月20日 山口地裁下関支部 並木正男裁判長 死刑判決
 
 首相: 
 法相:

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 加賀聖商

 2008年6月5日   最高裁第一小法廷 才口千晴裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年7月19日 東京高裁       須田賢裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2004年2月4日  横浜地裁       小倉正三裁判長 死刑判決

 首相: 
 法相:

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 山本開一

 2008年4月24日 最高裁第一小法廷 才口千晴裁判長 上告棄却 死刑確定
 2006年9月28日 東京高裁       阿部文洋裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2005年9月8日  さいたま地裁     福崎伸一郎裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 松村恭造

 2008年4月8日  本人控訴取り下げ、確定
 2008年3月28日 京都地裁 増田耕兒裁判長 死刑判決

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 長谷川静央

 2008年3月17日 本人上告取り下げ、確定
 2007年8月16日 東京高裁   阿部文洋裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2007年1月23日 宇都宮地裁 池本寿美子裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 服部純也

 2008年2月28日 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年3月29日 東京高裁       田尾健二郎裁判長 一審破棄 死刑判決
 2004年1月15日 静岡地裁沼津支部 高橋祥子裁判長 無期懲役判決

 首相:
 法相:

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 林泰男

 2008年2月15日 最高裁第二小法廷 古田佑紀裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年12月5日 東京高裁       村上光鵄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2000年6月29日 東京地裁       木村烈裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 外尾計夫

 2008年1月31日 最高裁第一小法廷 涌井紀夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年5月21日 福岡高裁       虎井寧夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2003年1月31日 長崎地裁       山本恵三裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 宇井錂次◆(08. 2. 7病死 68歳没)

 2007年11月30日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年2月25日  広島高裁岡山支部  安原浩裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2003年5月21日  岡山地裁       榎本巧裁判長 死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 古沢友幸

 2007年11月15日 最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年5月24日  東京高裁       安広文夫裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 2004年3月30日  横浜地裁       小倉正三裁判長  死刑判決

 首相:
 法相:

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 庄子幸一

 2007年11月6日 最高裁第三小法廷     藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年9月7日  東京高裁           安広文夫裁判長 控訴棄却    死刑判決支持
 2003年4月30日 横浜地裁           田中亮一裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 小田島鉄男

 2007年11月1日 本人控訴取り下げ、確定
 2007年3月22日 千葉地裁 根本渉裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 端本悟

 2007年10月26日 最高裁第二小法廷 津野修裁判長  上告棄却 死刑確定
 2003年9月18日  東京高裁       仙波厚裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 2000年7月25日  東京地裁       永井敏雄裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 後藤良次

 2007年9月28日 最高裁第二小法廷 津野修裁判長  上告棄却 死刑確定
 2004年7月6日  東京高裁        山田利夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2003年2月24日 宇都宮地裁      飯渕進裁判長  死刑判決

 首相:
 法相:

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 横山真人

 2007年7月20日 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年5月19日 東京高裁       原田国男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1999年9月30日 東京地裁       山崎学裁判長  死刑判決

 首相:
 法相:

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 尾形英紀

 2007年7月18日 本人控訴取り下げ、確定
 2007年4月26日 さいたま地裁 飯田喜信裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 浜川邦彦

 2007年7月5日  最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年3月22日 名古屋高裁     小出錞一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
         (☆は金ヘンに享)
 2002年12月18日 津地裁       天野登喜治裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 前上博◆(09. 7.28執行 25歳没)

 2007年7月5日  本人控訴取り下げ、確定
 2007年3月28日 大阪地裁 水島和男裁判長 死刑判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 薛松(せつしょう)

 2007年6月19日 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年1月23日 東京高裁            白木勇裁判長   控訴棄却 死刑判決支持
 2002年2月22日 さいたま地裁       川上拓一裁判長 死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 中原澄男

 2007年6月12日 最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長 上告棄却 死刑確定
                  (定年退官のため藤田宙靖裁判官代読)
 2005年4月12日 福岡高裁       虎井寧夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2003年5月1日  福岡地裁        林秀文裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 山地悠紀夫◆(09. 7.28執行 25歳没)

 2007年5月31日  本人控訴取り下げ、確定
 2006年12月13日 大阪地裁 並木正男裁判長 死刑判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 造田博

 2007年4月19日 最高裁第一小法廷 横尾和子裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年9月29日 東京高裁       原田国男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2002年1月18日 東京地裁       大野市太郎裁判長     死刑判決

 首相:
 法相:

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 西山省三

 2007年4月10日  最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年4月23日  広島高裁            久保真人裁判長 一審判決破棄 死刑判決
 1999年12月10日 最高裁第二小法廷 河合伸一裁判長 二審判決破棄 高裁差し戻し
 1997年2月4日   広島高裁             荒木恒平裁判長 検察、被告側控訴棄却
                                                    無期懲役判決
 1994年9月30日  広島地裁            小西秀宣裁判長 無期懲役判決

 首相:
 法相:

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 小林光弘

 2007年3月27日 最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年2月19日 仙台高裁       松浦繁裁判長 控訴棄却  死刑判決支持
 2003年2月12日 青森地裁       山内昭善裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 加納恵喜

 2007年3月22日 最高裁第一小法廷 才口千晴裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年2月6日  名古屋高裁      小出錞一裁判長 一審破棄 死刑判決
                 (☆は金ヘンに享) 
 2003年5月15日 名古屋地裁      伊藤新一郎裁判長     無期懲役判決

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 篠沢一男

 2007年2月20日 最高裁第三小法廷 那須弘平裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年4月23日 東京高裁       高橋省吾裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2002年3月19日 宇都宮地裁      肥留間健一裁判長     死刑判決

 首相:
 法相:

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 松田康敏

 2007年2月6日  最高裁第三小法廷 那須弘平裁判長 上告棄却 死刑確定
 2004年5月21日 福岡高裁宮崎支部 岡村稔裁判長 控訴棄却  死刑判決支持
 2003年1月24日 宮崎地裁       小松平内裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 松本和弘/松本昭弘/下浦栄一

 2007年1月30日 最高裁第三小法廷  上田豊三裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年7月8日  名古屋高裁       小出錞一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
                  (☆は金ヘンに享) 
 2002年1月30日 名古屋地裁一宮支部 丹羽日出夫裁判長     死刑判決

 首相:
 法相:

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 西本正二郎◆(09. 1.29執行 32歳没)

 2007年1月11日 本人控訴取り下げ、確定
 2006年5月17日 長野地裁 土屋靖之裁判長 死刑判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 高塩正裕◆(08.10.28執行 55歳没)

 2006年12月18日、弁護人が上告するも、本人上告取り下げ、20日付で確定
 2006年12月5日 仙台高裁        田中亮一裁判長 一審破棄 死刑判決
 2006年3月22日 福島地裁いわき支部 村山浩昭裁判長      無期懲役判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 日光(パク・イルグァン)◆(09. 1. 4病死 62歳没)

 2006年11月24日 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年3月28日  福岡高裁       虎井寧夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2003年3月28日  福岡高裁       虎井寧夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持

 首相:
 法相:

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 高橋義博

 2006年10月26日 最高裁第一小法廷 島田仁郎裁判長 上告棄却 死刑確定
                  (甲斐中辰夫裁判官が代読)
 2003年4月15日  東京高裁       須田賢裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2000年8月29日  横浜地裁       矢村宏裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 長勝久

 2006年10月12日 最高裁第一小法廷 才口千晴裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年9月10日  東京高裁       白木勇裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 2001年12月18日 宇都宮地裁      肥留間健一裁判長     死刑判決

 首相:
 法相:

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 小林薫

 弁護側即日控訴するも、10月10日に本人控訴取り下げ。検察側控訴せず、確定。
 2006年9月26日 奈良地裁 奥田哲也裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 石川恵子

 2006年9月21日 最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年3月27日 福岡高裁宮崎支部 岩垂正起裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 2001年6月20日 宮崎地裁       小松平内(へいない)裁判長 死刑判決
 
 首相:
 法相:

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 久間三千年(くま みちとし)◆(08.10.28執行 70歳没)

 2006年9月8日  最高裁第二小法廷 滝井繁男裁判長 上告棄却 死刑確定
 2001年10月10日 福岡高裁      小出錞一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
                  (☆は金ヘンに享)
 1999年9月29日  福岡地裁       陶山博生裁判長 死刑判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 江東恒

 2006年9月7日  最高裁第一小法廷 甲斐中辰夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年1月20日 大阪高裁       那須彰裁判長   控訴棄却 死刑判決支持
 2001年3月22日 大阪地裁堺支部  湯川哲嗣裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 平野勇◆(08. 9.11執行 61歳没)

 2006年9月1日  最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
 2002年7月4日  東京高裁       安広文夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2000年2月17日 宇都宮地裁     肥留間健一裁判長     死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:保岡興治

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 陳徳通(チェン・ダートン)◆(09. 7.28執行 41歳没)

 2006年6月27日 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年2月20日 東京高裁       須田贒裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
                  (賢の又を忠・まさる)
 2001年9月17日 横浜地裁川崎支部 羽渕清司裁判長      死刑判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 中山進

 2006年6月13日  最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年10月27日 大阪高裁       浜井一夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2001年11月20日 大阪地裁       氷室真裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 佐藤哲也(野村哲也)/川村幸也◆(09. 1.29執行 39歳没)

 2006年6月9日  最高裁第二小法廷 今井功裁判長 上告棄却 死刑確定
 2003年3月12日 名古屋高裁     川原誠裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2002年2月21日 名古屋地裁     片山俊雄裁判長     死刑判決

 首相:麻生太郎
 法相:森英介

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 高橋和利

 2006年3月28日  最高裁第三小法廷 堀籠幸男裁判長 上告棄却 死刑確定
 2002年10月30日 東京高裁       中西武夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1995年9月7日  横浜地裁       上田誠治裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 山本峰照◆(08. 9.11執行 68歳没)

 弁護側即日控訴するも、翌日に本人控訴取り下げ。検察側控訴せず、確定。
 2006年3月20日  神戸地裁 笹野明義裁判長 死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:保岡興治

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 松本智津夫(麻原彰晃)

 2006年3月27日 東京高裁 須田贒(賢の又を忠・まさる)裁判長 控訴棄却
 2004年2月27日 東京地裁 小川正持裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 向井義己

 2006年3月2日  最高裁第一小法廷 横尾和子裁判長 上告棄却 死刑確定
 2002年2月28日 名古屋高裁     堀内信明裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2000年7月19日 名古屋地裁     山本哲一裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 山口益生

 2006年2月24日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長  上告棄却 死刑確定
 2001年6月14日 名古屋高裁      小島裕史裁判長 一審破棄 死刑判決
 1999年6月23日 津地裁         柴田秀樹裁判長 無期懲役判決
 1997年9月28日 名古屋高裁      土川孝二裁判長 一審判決破棄、審理差戻
 1997年3月28日 津地裁四日市支部 柄多貞介裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 宮崎勤◆(08. 6.17執行 45歳没)

 2006年1月17日 最高裁第三小法廷 藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
 2001年6月28日 東京高裁       河辺義正裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1997年4月14日 東京地裁        田尾健二郎裁判長     死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 上田宜範

 2005年12月15日 最高裁第一小法廷 横尾和子裁判長 上告棄却 死刑確定
 2001年3月15日  大阪高裁     栗原宏武裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1998年3月20日  大阪地裁     湯川哲嗣裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 陸田真志◆(08. 6.17執行 37歳没)

 2005年10月17日 最高裁第一小法廷 泉徳治裁判長   上告棄却 死刑確定
 2001年9月11日  東京高裁         高木俊夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1998年6月5日  東京地裁         岩瀬徹裁判長       死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 堀江守男

 2005年9月26日 最高裁第二小法廷 今井功裁判長  上告棄却 死刑確定
 1991年3月29日 仙台高裁     小島建彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1988年9月12日 仙台地裁     渡辺達夫裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 松沢信一

 2005年9月16日 最高裁第二小法廷 中川了滋裁判長 上告棄却 死刑確定
 2001年5月30日 東京高裁     龍岡資晃裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1998年5月26日 東京地裁     阿部文洋裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 高根沢智明

 2005年7月13日 本人控訴取り下げ、確定。
 2004年3月25日 さいたま地裁 川上拓一裁判長 死刑判決

 首相:
 法相:

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 鎌田安利

 2005年7月8日  最高裁第二小法廷 福田博裁判長 上告棄却 死刑+死刑確定
 2001年3月27日 大阪高裁     福島裕裁判長 一審破棄 死刑+死刑判決
 1999年3月24日 大阪地裁     横田信之裁判長     死刑+死刑判決

 首相:
 法相:

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 西川正勝

 2005年6月7日  最高裁第三小法廷 浜田邦夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2001年6月20日 大阪高裁     河上元康裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1995年9月11日 大阪地裁     松本芳希裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 宮前一明

 2005年4月7日  最高裁第一小法廷 島田仁郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 2001年12月13日 東京高裁     河辺義正裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1998年10月23日 東京地裁     山室恵裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 秋永香(岡下香)◆(08. 4.10執行 61歳没)

 2005年3月3日  最高裁第一小法廷 泉徳治裁判長  上告棄却 死刑確定
 2001年5月17日 東京高裁     吉本徹也裁判長 一審破棄 死刑判決
 1999年3月11日 東京地裁     山崎学裁判長       無期懲役判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 間中博巳

 2005年1月27日 最高裁第一小法廷 才口千晴裁判長 上告棄却 死刑確定
 2005年1月27日 最高裁第一小法廷 才口千晴裁判長 上告棄却 死刑確定
 1994年7月6日  水戸地裁下妻支部 小田部米彦裁判長     死刑判決

 首相:
 法相:

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 山崎義雄◆(08. 6.17執行 73歳没)

 2005年1月25日  最高裁第三小法廷 上田豊三裁判長 上告棄却 死刑確定
 2000年10月26日 高松高裁     島敏男裁判長  一審破棄 死刑判決
 1997年2月18日  高松地裁     重吉孝一郎裁判長     無期懲役判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 森本信之

 2004年12月14日 最高裁第三小法廷 金谷利広裁判長 上告棄却 死刑確定
 2001年5月14日  名古屋高裁    堀内信明裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2000年3月1日  津地裁      柴田秀樹裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 倉吉政隆

 2004年12月2日 最高裁第一小法廷 泉徳治裁判長  上告棄却 死刑確定
 2000年6月29日 福岡高裁     小出錞一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
                  (☆は金ヘンに享)
 1999年3月25日 福岡地裁     仲家暢彦裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 坂本春野

 2004年11月19日 最高裁第二小法廷 津野修裁判長 上告棄却 死刑確定
 2000年9月28日  高松高裁     島敏男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1998年7月29日  高知地裁     竹田隆裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 坂本正人◆(08. 4.10執行 41歳没)

 上告せず確定
 2004年10月29日 東京高裁 白木勇裁判長 一審破棄 死刑判決
 2003年10月9日  前橋地裁 久我泰博裁判長     無期懲役判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 持田孝◆(08. 2. 1執行 65歳没)

 2004年10月13日 最高裁第二小法廷 滝井繁男裁判長 上告棄却 死刑確定
 2000年2月28日  東京高裁     仁田陸郎裁判長 一審破棄 死刑判決
 1999年5月27日  東京地裁     山室恵裁判長       無期懲役判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 岡本啓三/末森博也

 2004年9月13日 最高裁第二小法廷 福田博裁判長  上告棄却 死刑確定
 1999年3月5日  大阪高裁     西田元彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1995年3月23日 大阪地裁     谷村允裕裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:
 
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 中村正春◆(08. 4.10執行 61歳没)

 2004年9月9日  最高裁第一小法廷 島田仁郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1999年12月22日 大阪高裁     河上元康裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1995年5月19日  大津地裁     中川隆司裁判長      死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 名古圭志◆(08. 2. 1執行 37歳没)

 2004年8月26日、控訴取り下げ、確定
 2004年6月18日 鹿児島地裁 大原英雄裁判長 死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 岡崎茂男/迫康裕/熊谷昭孝

 2004年6月25日 最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 上告棄却 死刑確定
 1998年3月17日 仙台高裁     泉山禎治裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1995年1月27日 福島地裁     井野場明子裁判長     死刑判決

 首相:
 法相:

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 藤間静波◆(07.12. 7執行 47歳没)

 2004年6月15日 最高裁第三小法廷 浜田邦夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 2000年1月24日 東京高裁     荒木友雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1988年3月10日 横浜地裁     和田保裁判長       死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 石橋栄治

 2004年4月19日 最高裁第三小法廷  藤田宙靖裁判長 上告棄却 死刑確定
 1999年4月28日 東京高裁      佐藤文哉裁判長 一審破棄 死刑判決
                  (両事件とも有罪)
 1996年3月8日  横浜地裁小田原支部 ☆原孟裁判長       無期懲役判決
               (☆草カンムリにノギヘンのノギ、その右に亀)
        (放火殺人事件は有罪、タクシー運転手殺害事件は無罪)

 首相:
 法相:

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 黄奕善(ウォン・イーサン マレーシア国籍)

 2004年4月19日 最高裁第一小法廷 島田仁郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1998年3月26日 東京高裁     松本時夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1996年7月19日 東京地裁     阿部文洋裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 吉岡守(宅間守)◆(04. 9.14執行 40歳没)

 2003年9月26日、控訴取り下げ、確定
 2003年8月28日 大阪地裁 川合昌幸裁判長 死刑判決

 首相:小泉純一郎
 法相:野沢太三

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 府川博樹◆(07.12. 7執行 42歳没)

 2003年1月、   上告取り下げ、死刑確定
 2001年12月19日 東京高裁 高橋省吾裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 2001年3月21日  東京地裁 木村烈裁判長       死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:鳩山邦夫

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 横田謙二

 2002年10月25日、上告取り下げ、死刑確定
 2002年9月30日 東京高裁   高橋省吾裁判長 一審棄却 死刑判決
 2001年6月28日 さいたま地裁 若原正樹裁判長      無期懲役判決

 首相:
 法相:

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 陳代偉(チェン・ダイウェイ)/何力(フー・リー)

 2002年6月11日 最高裁第三小法廷  金谷利廣裁判長 上告棄却 死刑確定
 1998年1月29日 東京高裁      米沢敏雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1995年12月5日 東京地裁八王子支部 豊田健裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 萬谷義幸◆

 2001年12月6日 最高裁第一小法廷 深澤武久裁判長 上告棄却 死刑確定
 1997年4月10日 大阪高裁     内匠和彦裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1991年2月7日  大阪地裁     米田俊昭裁判長      死刑判決

 首相:福田康夫
 法相:保岡興治

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 関光彦

 2001年12月3日 最高裁第二小法廷 亀山継夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1996年7月2日  東京高裁     神田忠治裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1994年8月8日  千葉地裁     神作良二裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 上田大◆(03. 2.28病死 33歳没)

 2001年9月20日 最高裁第一小法廷 藤井正雄裁判長 上告棄却 死刑確定
 1996年7月2日  名古屋高裁       松本光雄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1994年5月25日 名古屋地裁       伊藤邦晴裁判長           死刑判決

 首相:
 法相:

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 岩本義雄◆(07. 8.23執行 63歳没)

 弁護側控訴するも、2月6日に本人控訴取り下げ。検察側控訴せず、確定
 2001年2月1日 東京地裁 木村烈裁判長 死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚遠

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 瀬川光三◆(07. 8.23執行 60歳没)

 2001年1月30日 最高裁第三小法廷  元原利文裁判長 上告棄却 死刑確定
 1997年3月11日 名古屋高裁金沢支部 高木実裁判長  控訴棄却 死刑判決支持
 1993年7月15日 富山地裁      下山保男裁判長      死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚

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 竹澤一二三◆(07. 8.23執行 69歳没)

 上告せず確定
 2000年12月11日 東京高裁  高橋省吾裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1998年3月24日  宇都宮地裁 山田公一裁判長      死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚

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 田中政弘◆(07. 4.27執行 42歳没)-旧姓宮下

 2000年9月8日  最高裁第二小法廷 河合伸一裁判長 上告棄却 死刑
                          及び懲役12年確定
 1995年12月20日 東京高裁     佐藤文哉裁判長 控訴棄却 死刑
                          及び懲役12年判決
 1994年1月27日 横浜地裁      上田誠治裁判長 死刑
                          及び懲役12年判決

 首相:安倍晋三

 法相長勢甚遠

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 松本健次

 2000年4月4日  最高裁第三小法廷 奥田昌道裁判長 上告棄却 死刑確定
                 (退官のため宮島英世裁判長が代読)
 1996年2月21日 大阪高裁     朝岡智幸裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1993年9月17日 大津地裁     土井仁臣裁判長       死刑判決

 首相:
 法相:

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 小田義勝◆(07. 4.27執行 59歳没)

 2000年3月30日 本人控訴取り下げ、死刑確定
 2000年3月15日 福岡地裁 陶山博生裁判長 死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚遠

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 日高広明◆(06.12.25執行 44歳没)

 控訴せず確定
 2000年2月9日 広島地裁 戸倉三郎裁判長 死刑判決

 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚遠

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 北川晋◆(05. 9.16執行 58歳没)

 2000年2月4日  最高裁第二小法廷 北川弘治裁判長 上告棄却 死刑
                          及び無期懲役確定
 1995年3月30日 高松高裁     米田俊昭裁判長 控訴棄却 死刑
                          及び無期懲役判決支持
 1994年2月23日 高知地裁     隅田景一裁判長 死刑判決
                          及び無期懲役判決
             (千葉の事件で無期懲役、高知の事件で死刑判決)

 首相:小泉純一郎
 法相:南野知恵子

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 松井喜代司
 
 1999年9月13日 最高裁第一小法廷 大出峻郎裁判長 上告棄却 死刑確定
 1995年10月6日 東京高裁     小泉祐康裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
 1994年11月9日 前橋地裁高崎支部 佐野精孝裁判長      死刑判決

 首相:
 法相:

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 福岡道雄◆(06.12.25執行 64歳没)

 1999年6月25日 最高裁第二小法廷 福田博裁判長 上告棄却 死刑確定
 1994年3月08日 高松高裁     米田俊昭裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
                  (村田晃裁判長が代読)
 1988年3月09日 高知地裁     田村秀作裁判長 死刑判決
 
 首相:安倍晋三
 法相:長勢甚遠

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 嶋崎末男◆(04. 9.14執行 59歳没)

 1999年3月9日  最高裁第三小法廷 千種秀夫裁判長 上告棄却 死刑確定
 1995年3月16日  福岡高裁     池田憲義裁判長 一審破棄 死刑判決
 1992年11月30日 熊本地裁     赤塚健裁判長       無期懲役判決
 
 首相:小泉純一郎
 法相:/野沢太三

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 高田和三郎

 1999年2月15日 最高裁第一小法廷 小野幹雄裁判長 上告棄却 死刑
                          及び懲役14年確定
 1994年9月14日 東京高裁     小泉祐康裁判長 控訴棄却 死刑
                           及び懲役14年判決支持
 1986年3月28日 浦和地裁     杉山忠雄裁判長 死刑
                          及び懲役14年判決
               (最初の1件で懲役14年、残りの事件で死刑判決)

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 毛利甚八『裁判官のかたち』(現代人文社、2002年)

 より 抜粋

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 毛利甚八(もうり・じんぱち)

 1958年長崎県生まれ。

 旅と日本をこよなく愛する。

 ライターおよびマンガ原作者。

 主著に、『家栽の人』(原作、小学館)、

 『宮本常一を歩く上・下』(小学館)などがある。


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 浅見宣義(あさみのぶよし)裁判官

 裁判官の有志二〇名(出向中を含む)で設立された「日本裁判官

 ネットワーク」の中心的存在であり、司法改革を論議する際に

 「もの言う裁判官」として欠かせない存在になっている。


 ドイツではヴァッサーマンという裁判官に会うことができた。

 そして彼の生き方に一番感動しました。


 浅見宣義判事補(当時)が書いた論文「静かな正義の克服を目指して

 ─ 私の司法改革案」は、平明にして的確、多くの実用的なアイデアが

 盛り込まれた画期的なものであった。一九九三年年に発表されたのは

 次の三つの論文で、六回に分けて掲載された。

 「その一 裁判所のイメージアップのために─裁判所CI作戦」

 「その二 二一世紀の裁判官を育てるために─判事補研修制度改善の提言」

 「その三 裁判所の組織、組織文化の改革のために─裁判所リストラ作戦」


 裁判所リストラ作戦では、最高裁による中央集権的で形式主義的な改革が

 現場の裁判官をより形式主義に堕落させるとし、《・・・、いやむしろ明文化

 されていない慣習や行動様式こそ、裁判官の日常に影響するものとして、

 そしてその積み重ねによって動かしがたい裁判官の態度を決定していくもの

 として、改革の対象とされなければならない》(判例時報一四六五号三〇項)

 と、・・・・・・。

 「僕は地方分権派で、最終的には高裁単位かな全国の地裁・家裁・簡裁

 それぞれが裁判所や裁判官のあり方を考え、かつ実践できる制度ができ、

 情報をネットワークでつなぐようになればいいなと考えているんです。 

 対話の相手はいても的はない、そう考えて、これからも活動を続けていようと

 思っています。」


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 石松竹雄(いしまつたけお)元裁判官

 当時、GHQが設置していた provost court と呼ばれる裁判所が桜田門の

 警視庁と品川警察署の庁舎の上の階にありました。

 
 新しい裁判所制度は敗戦から連合国による占領と、めまぐるしく価値観が

 変化する世相の中で生まれた。GHQがその地位向上にことさら力をいれた

 とされる裁判官という職業も、食糧難を生きるエリート青年にはこれほど

 懐疑的な見方をされていたわけだ。


 「私は網田(網田覚一・大阪地裁)さんの裁判を見て、これなら闇米を食べ

 ながら裁判ができると思いました。

 これは後に網田さんから聞いた話です。

 ある時、網田さんが令状当番をしていると、闇米を運んでいたおばさん

 二〇人ばかりが捕まり、検事が勾留請求をした。勾留請求をされた網田さん

 はそれをすべて却下してしまった。すると網田さんの母校である高知の

 旧制高校の後輩に当たる検事が、何人かの勾留を認めてくれないかと

 頼みに来た。

 そこで網田さんはこう返事をしたそうです。

 『検事のなかに一人でも闇米を食うてない奴がいたらここに連れてこい。

 そしたら、全員の勾留を認めてやる』。

 結局、誰も来なかったと笑っていました」。

 網田裁判官は昭和三八(一九六三)年に退官する。退官間際には訴訟

 指揮が誤解を受けたり、豊富なキャリアにもかかわらず高裁判事に選ばれ

 ないなど見方によっては不遇だった。

 「・・・。
  しかし、いつのまにか新聞記者が絶対に裁判官室に出入りしなくなったん

 です。総務課に広報の窓口ができてそこで交渉するようになり、書記官室

 にも顔を出さなくなりました」。

 公の場としての裁判所が、次第に窮屈になり人の出入りを拒むようになった

 のは、一九六〇年代後半の学生事件の裁判が契機となった。

 学生事件を契機に欠席裁判などの刑事訴訟法の改正もなされましたが、

 そういう変化は東京の裁判所がイニシアチブをとった。背景としては、東京

 では労弁や自由法曹団といった既成の団体が学生運動に対して否定的

 だったこともあるでしょう。

 それに対し大阪のほうでは何人かの弁護士が学生運動の弁護運動を

 手がけ、従来からの弁護の伝統と新しい傾向をなんとかすりあわせようと

 努力されていた。一方で大阪の裁判官たちも強権的な裁判にならないように

 努力したんです。

 一方では青年法律家協会をめぐる裁判所内部での動揺もあった。昭和三四

 (一九五九)年の砂川事件における東京地裁の米軍に対する違憲判決を

 皮切りに一九六〇年代を通じて公安・労働関係の裁判で警察・検察に不利な

 第一審判決が相次いだことから、保守派の裁判官や政府与党の中から裁判

 の偏向を糾弾する声が挙がった。これを受けた最高裁判所は裁判官の管理

 を強めたといわれ、一九七〇年代には「司法の冬」という言葉が生まれた。

 先に言った学生運動の問題と青法協会問題を境に、裁判所は変質していき

 ました。最高裁判所は防御的になり、政権などの強いものに対して場当たり

 的な対応をしていくようになったと思います。

 そして、強い意見を持つ人を裁判所内部に置けない体質を持つようになった。

 あれ以降、最高裁判所は結果的に反乱しない人だけを裁判官に選び続け

 たんじゃないでしょうか。

 裁判所を建て直すとすれば、最高裁判所が予算を自立してコントロールする

 ことが大切じゃないでしょうか。

 また個々の裁判官は、研修を最高裁任せにせず自分たちの手でやるべき

 です。自分で自分を磨くことのできる裁判官こそが、職権の独立を守り、

 法で守られるべき少数者のための裁判を実現できるのではないでしょうか」。

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 近藤昌昭(こんどうまさあき)裁判官

 最高裁の玄関がある東の方向には当然、皇居がある。そちらを向きながら、

 皇室に失礼ではない建物のあり方はどのようなものか。それは、国会議事堂

 や国会図書館と整列し、そちらを向きつつ皇居から少し視線を反らす、その

 ような曖昧な態度が「公正らしい」という考えなのだろう。

 ただ裁判官は、法という複雑なシステムを熟知した技術者であろう。その法の

 適用される場に、思想や個人の権利、生命という人間生活の生命線が関わっ

 ているために、裁判官の判断を国家という権威が支えるかたちになっている。

 これまでは国家の権威を裁判官の権威を重ねて見ることはごく普通のことで

 あった。そのような視点を支えていたのは、官僚と民間の間にある絶対的な

 能力差と情報の格差であった。

 その官と民の間の大きな格差が解消されてきたために、裁判官もまた、普通

 の技術者としての優劣を、率直に問われる時代が近づいてきているのである。

 私たちは、自動車を設計することのできる技術者に、専門的な技術論や仕事

 ぶりなどは問わない。できた車が、使いやすく、安全かと問うのみだ。・・・・・。

 だが、最高裁はまだ隠すこと、沈黙することを世の中と対峙する戦略のひとつ

 だと考えているようだ。

 「いつかわかってくれるさ」

 わかってもらうためには、相手の立場でものを考えなければならない。自分の

 情報を、発信する相手の土俵で評価し、取捨選択し、再構築しないと、情報や

 意見は伝わらないのである。

 また、そうしたコミュニケーションを通じて見えてくるものこそ、本物のニーズ

 なのである。


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 岡健太郎(おかけんたろう)裁判官

 裁判所制度を考えるとき、五五年体制下の左右のイデオロギー対立から

 生まれた二元的な言説は今も現役で使われている。最高裁に進むエリートと

 最高裁に差別される反体制的裁判官の図式は、それに変わるものがないまま、

 裁判所制度を語るための枕として、また権力を指弾するための足場として

 使われながら、次第に効力を薄れさせている。なにしろ「司法の冬の時代」

 以降、裁判所を語る新しい思想も言葉もない真空状態だから、古い武器でも

 使わざるをえないのだ。

 そうした真空状態のなかで、「司法の冬」を体験していない世代がいよいよ

 司法という巨大な飛行機の、それぞれの持ち場での操縦桿を握るように

 なったのだ。

 ・・・・・。まるで、少年事件の司法行政をするためには実際の少年審判での

 経験や悩みは不必要だ、と考えられているかのようである。

 その分野を知らない人のほうが仕事がやりやすいのだという最高裁の思惑が

 あるのだとすると、最高裁での少年部の司法行政を取り扱う裁判官と現場の

 裁判官は仲間意識を持つどころか敵対関係にならざるをえないのではなか

 ろうか。家庭裁判所で少年審判に取り組んでいる現場の裁判官は、自らの

 現場を変えられないし、出世もできないという絶望感を抱く可能性もある。

 現場の声を吸い上げて家庭裁判所を改善することが容易な関係とは思え

 ない。

 岡健太郎さんもまた、最高裁事務総局の仕事よりも裁判官の仕事のほうが

 おもしろいと言った。司法行政の仕事は時間的にきつく、最高裁事務局で

 働くために裁判官が努力するとは考えにくという。

 裁判官という仕事全体がエリートなのであって、事務総局の仕事は誰かが

 やらねばならないからやるにすぎない。

 「事務総局の仕事は裁判事務とは異質なんです。裁判というのは事件の事実

 認定とそれに対する法律の適用が主な仕事で学問に近いんです。ところが

 司法行政はいろいろな予算を考えたり、どういう記録の書式を作るかを考え

 たり、こまごまとした仕事で柔軟性が必要かもしれませんね」。

 ・・・・・。一方で草加事件の最高裁破棄差戻しの話題で「あんな証拠で一五年

 も裁判に巻き込まれた少年はかわいそうだ」と私が言うと、「あれは民事裁判

 ですから」ときわめて冷静な答えが帰って(*注:返って?)きた。

 無罪の少年が一人でもいた場合、冤罪に巻き込まれた人生や時間は返って

 こない。考えるだけで胸が痛い。そうした思いは制度や法律を超えたもので

 ある。現実にはなんら役に立たない感傷である。しかし、そういう思いを持つ

 裁判官が最高裁で働くことは悪いことなのであろうか。裁判所を使わざるを

 えない人たちが裁判官席を仰ぎ見る時、そこに情を含めた人格を読みとろう

 とすることは無理難題なのであろうか。

  最高裁事務総局で働く二人の裁判官と会ってみて感じたのは、個人としては

 きわめて善良でまじめな人たちだなぁ、ということだ。・・・・・。

 彼らは最高裁事務総局の仕事と裁判実務を区別したがる。そして裁判実務に

 ある自由さをありがたがるが、それは机のまわりの小さな利己的な自由である。


  憲法に身分を保障され、破格に近い官舎に住み、自由な裁量で仕事を

 こなし、そのうえに仕事上の過失は公務員であるゆえに個人としては問われ

 にくい。これほど優遇された裁判官が、社会的な責任よりも組織内部の多数

 意見に頼って世界を見る癖を持ち、法廷に立つ無力な人々のことを省みない

 とすると、裁判官は司法試験合格の既成事実にあぐらをかいた、裁判官と

 いう利権を守る頭のいい子どもの群れではないか。

  私のインタビューを受けたことは、二人の裁判官にとって不運なことなので

 あろう。しかし、司法という巨大なシステムに二つとない自己を投げ込んで

 生きる意味や価値を、そこに生きる個人のメッセージを聞きたくて、私は

 最高裁に出かけたのである。


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 一二年前に出会った裁判官
 裁判所を見捨てた
 女性裁判官

  その後、彼女は裁判官を退官して南の島で大学教授になった。

  日本の裁判官はたくさんの、服や飾りを身につけている。学歴、司法試験

 以後の成績、歴任してきた地位、効率のよい仕事ぶり、ミスの少なさ、最高裁

 の後ろ盾。その服を脱ぎ捨てて、自分を語れる人に出会うのは珍しい。

 彼女の話を聞いていると、いつも裁判官であることを忘れてしまう。

 ─ 裁判所制度がいびつだと思うのは、沈黙や不実行が有効で、そのほうが

 割に合うという感覚が内部にあるからだと思います。

 「そうですね。しかし、裁判所の中で行動するとすれば、自分の中で深く内面化

 したものをもとに、軋轢を減らすために最大限の努力を払ってやるものだと

 思うんです。・・・・・」。

 私は正木ひろしほど厳しい舌鋒で裁判官を語ることはできないが、裁判官と

 接する機会を持った一般人としての感想を言うと、彼らは自分の行動や良心

 を自己評価できるほどの写し鏡を持ってはいない。それほどに戦後の日本の

 状況が屈折していた、とも言えるが、そろそろ裁判や正義を語る真摯な言葉

 が積み上げられないと、時代は裁判官を置き去りにしたまま進んでいくだろう。

 ─ 司法改革で何かが変わると思いますか?
 「・・・・・。法曹を増やして、争いを増やせばいい、というのは悪い社会を作ろう

 としている論議でしょう。改革なんかじゃないですよ。人が協調することこそ

 解決の道なのに、逆じゃないですか。現状よりも人が協調できるように

 どうすればいいのかを考えればいいと、私は思っている。
 ・・・・・。
 法曹を増やし紛争を増やす改革の論議をして、いかに争いをなくすかは誰も

 考えない。私は短い一生をこういう異質な考えの下で費やすよりも、学生たち

 に私の基本的な考え方を伝えていくことを選んだんです。そして学生たちが

 人と争わずに、人に良くすることが自分を幸せにする道だということをわかって

 くれるように、教壇において述べようと思っているんです。・・・・・」。

 ・・・、だが、裁判所は彼女にも見捨てられてしまったのである。


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 井垣康弘(いがきやすひろ)裁判官

 井垣さんは神戸児童連続殺傷事件の少年を審判した神戸家裁の裁判官と

 して有名である。また日本裁判官ネットワークのメンバーでもある。

 戦後の少年法(昭和二三年七月一五日成立公布)の精神を支持する人間と

 して、便宜に甘えて事件をほじくりたくないという自己規制の気持と、どんなに

 少年の近くにいる人に話を聞いても、結局は「知る」ことなどできないという

 絶望感の両方があった。

 ・・・、彼のコラムを読んだからだ。
 ・・・・・。
 《刑事の証拠操作が巧妙で、判事も検事も弁護士も皆だまされてしまった

 のだ。証拠を偽造されると、裁判システムは弱点をさらけ出すのである。

 ・・・離婚を迫るシーンでは、泣きじゃくってしまった》(井垣康弘・映画

 「ザ・ハリケーン」を見て)。

 「裁判官らしくないなぁ」。

 スキだらけのの文章に虚をつかれた思いがした。裁判官としての気取りや

 自意識が見事に取り除かれている。人に伝えることだけに徹した文章である。

 昭和四二(一九六七)年、井垣さんは判事補として希望通り大阪地裁刑事部

 に配属される。戦後の大阪の裁判所が裁判官の独立を尊重する、きわめて

 リベラルな空気の漂う場所だったことは多くの裁判官・元裁判官が証言する

 ところである。

 大阪地裁には裁判長(部総括裁判官)の選挙制度が生まれており、判事補

 にも投票権があった。・・・・・。裁判長の品定めが時折行われ、・・・。

 《  》(井垣康弘「私の構想する法曹一元制度」自由と正義二〇〇〇年一月号)

 この文章を読むと、私は村落共同体の若衆を思い出してしまう。たとえ直接の

 権力を振るえないとしても、若い世代がシャドーキャビネットを作って模擬的

 意思決定を行い、選挙を通じて意思表示ができたとすれば、組織の中に、

 年輩者の緊張と若い世代の溌剌とした気分の二重の空気が流れていた

 ことだろう。

 ・・・、上席裁判官(裁判所所長の司法行政事務代理を務める裁判所の

 ナンバー2)も選挙で・・・」。

 支部めぐりから家裁へ、これが最高裁事務総局の思い描く懲罰人事であり、

 裁判官の転落コースなのだろう。

 ただし、支部めぐりが裁判官のプライドを傷つけるという構図に私は素直に

 与したくない。支部めぐりに傷ついた時点で、裁判官は最高裁(本稿の

 「最高裁」とは、司法行政を担う事務総局を指す。以下、同じ)を頂点とする

 ピラミッド構造の中に価値を置くことになる。そこにこだわりすぎると、出世に

 未練たらたらで傷ついている人と、最高裁という組織の弊害で苦しんでいる

 人との区別がつきにくくなる。

 井垣さんが家事調停の現場で作り上げようとしたものは、必要な情報が解決

 に関与するすべての人に平等に行きわたり、なによりも当事者同士の対話が

 育てられていく場であった。

 最高裁と最高裁に人事情報を吸い上げられている裁判官たちは、創造を嫌い、

 統制が大好きなのだという確信が湧いてくる。もしかしたら井垣さんが開発

 した手法の手柄を、こっそりと奪い取りたかったのかもしれない。どちらにしろ、

 法という偉大な価値を守る人々を支配しているのはおびえと嫉妬なのである。

 ・・・・・。

 町並みは総じて、車で移動することを念頭に置いた大味なつくりである。

 私はその無関心のありようこそが、事件の残酷さや異様さを支えて、なおも

 現在の私たちを試している「状況」なのだと思う。解決策や答えなど簡単に

 出ない。


  ─ 改正には賛成ですか、反対ですか?
 「少年法改正には基本的には反対です。・・・・・。これは少年司法の問題だけ

 ではなく、刑事司法全体のもんだいですが、・・・・・」。
  ─ 従来の少年審判に問題があるとすればどんなところでしょうか?
 「まずは情報の開示、そして審判に被害者が参加できるような審判の改革が

 必要になると思います。情報の開示の問題で言えば、・・・、その情報は主に

 処分を決定するために使われています。・・・・・」。


 井垣さんは自分の職場に、多くの人を招き入れようとする。・・・・・。

 同じ情報を与えて平等に悩むのが理想のようだ。

 井垣康弘裁判官は今年(二〇〇〇年)九月から一〇月にかけて、産経新聞、

 共同通信、雑誌「法学セミナー」などを通じて独自の少年審判の改革案を

 一般に向けて発信した。

 私たちは*現行少年法の限界からでなく、最高裁判所と法務省の怠慢に

 よって引き起こされた情報の飢餓状態にある。

 ・・・・・。インタビューをして強く感じたのは、観念的な言葉を嫌う、その合理的

 な性格であった。

 井垣さんは働き者だったから、負けなかったのである。法廷という場で実践を

 重ね、現実を直視し、裁判所にやってくる人から学ぶ気持を捨てなかった

 から、・・・・。


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 森脇淳一(もりわきじゅんいち)裁判官

 ・・・、日本裁判官ネットワークとは一線を画し、「裁判官が自分の境遇を嘆く

 のは潔くない」と我が道を行く人だそうだ。

 森脇淳一さんがこだわるのは、組織論や大文字の司法改革ではなく、裁判官

 という自分の生き方である。

 森脇さんの裁判所の見方はシニカルである。裁判所は結局、権力の横暴

 装置の一部である。

 エリート裁判官との合議を通じて、司法行政をやる人間と自分の能力が違う

 ことも確認した。

 「・・・・・。
  僕は守旧派ではありませんが、裁判官が法曹一元や陪審制などを主張

 するのには反対です。三権分立の建前から言って、裁判官は国会で立法

 された法律を適用するのが仕事だからです。まな板の鯉が料理法を選ぶ

 べきではない。どんなところで困っているかという情報開示はすべきだと

 思いますが、どんな制度がいいとは言えないと思う。

 ただ、司法行政をやっている最高裁事務総局と現場の裁判官とのパイプは

 作りたいと思います。・・・・・」。

 「・・・・・。僕は商売人の息子です。その目から見れば、ほんまにおかしなこと

 ばかり。・・・・・。

 僕はお金をもらって仕事をしている以上、裁判所はお客さんを増やし、大きく

 なって立派になって予算取れるようにすればいいと思う。それは当たり前の

 ことじゃないですか。

 ・・・・・。

 誰が困った裁判官かは弁護士も職員も知っていますよ。・・・・・」。


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 園尾隆司(そのおたかし)裁判官

 東京地裁の総務課広報係を通して申し込んでくれないかという。

 霞ヶ関の東京地方裁判所へ出かけた。

 「・・・・・。ただ私がどんなに平等にふるまっても、法的な権限はある。私は

 その権限を使って仕事をするだけなんです。裁判官が歩く順序や宴会の時に

 座る席順とか、そういう余分な思い込みや慣習はできるだけ崩したほうが

 いい。それをすべてなくしても、やっぱり権限はあるんだから、その権限に

 従って自然にやればいいじゃないでしょうか」。

 「・・・・・。
  最高裁というのは、皆さんが考えているほどの権力はないんですよ。裁判所

 の場合、個々の裁判官がすべての権限を握っている。・・・、たとえば法務省の

 民事局が通達で全体を動かせるのとはまったく違うんです。・・・・・」。

 ─ 司法制度改革審議会そのものが、経済界の「裁判実務をもっと早く」という

 声に始まっています。


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 山口毅彦(やまぐちたけひこ)裁判官

 如月会は青年法律家協会の裁判部会が、政治色を弱めるなかで親睦団体

 として生き残った組織である。

 私は九歳で「国家」という言葉も知らなかった。暗い国道に並んでいる人とも

 モノとも区別しがたい機動隊員の黒々とした塊が、初めて見た具体的な国家

 像であり、国道を挟んで時を待つ学生と機動隊員のあまりにアンバランスな

 ありようが、「権力」という言葉を考えるたびに甦るようになってしまった。

 「・・・・・。自分の主張が政治的に正しいというよりは、主張は誰の前でも

 言える、表現できるはずだ。その表現に対して、国家は憲法よりずっと下位の

 法律である道路交通法などで縛っているわけでしょ。本来許可すべき、デモの

 許可をせんとかね。・・・・・。

 われわれの時代はゲバ棒なんて持っていない。それに向かって機動隊は

 催涙弾をばんばん撃ってきて、・・・」。

 「・・・・・。
  大阪はすごかった。自由だと聞いとったけど、予想以上だった。・・・・・」。

 「・・・・・。
  被告人に対して何の邪念もなく真っ白な気持で対峙できるのかというとなか

 なかできない。裁判というのは本当に難しい。われわれ裁判官は裁判を

 通じて、自分の予断と偏見と闘い続けているようなものですよ」。


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 井上弘道(いのうえひろみち)裁判官

 九階の総務課を訪ねると、受付にコピーの束がずらりと並べてある。みれば

 司法制度改革審議会の意見書を報じた新聞記事のスクラップ集だ。・・・・・。

 こうやって組織全体で、世論を咀嚼するわけだ。

 ─ ・・・、今の刑事裁判の出来高をどうとらえていますか。
 「・・・・・。誰もが認めるのは効率と安定、それについては評価を受けると思い

 ます。

 なによりも日本の刑事裁判が外国の裁判と違うのは、精密な司法だと思い

 ます。そう言うと良さそうに聞こえるかもしれませんが、緻密なんです、細かい

 なんです。判決書きなども細かい。すると書面に頼るところが増えてきます。・・・・・。諸外国に比べて調書が厚い。そこで被疑者の人権上問題がある

 ことになるのだと思います。それはわかりますよ。

 では書面主義をやめて、捜査もあっさりしましょうと、後は法廷で勝負しましょう

 ということになれば、今のような緻密な事実認定はできなくなる。精密な司法と

 いうのはできなくなりますね。それでいいんですか、ということでしょう」。

 「・・・・・。裁判というのは検察のやってきたことをチェックするということでは

 ありません。もともとは何もないところに、こういう被告人についてこういう

 事件がありますよ、と(検察が)いう時に『検察のほうで立証してごらんなさい』

 と、『ちゃんと疑いの余地がないほど立証ができますか」ということでやって

 いるわけです。

 免罪ということで言えば、・・・、言われるとすれば、意識的ではなくて無意識の

 ところだと思います。警察がこうやって検察がこうやったんだから間違いない

 だろうと。
 ・・・・・。
 そういう疑いを晴らすためには何が大切かといえば、『虚心坦懐』というか、

 世間がワーッと燃えていても、そういうのと関係なく『淡々と』出てきた証拠を

 見る。・・・・・」。

 ─ ・・・、今、裁判官が裁判員という市民のサポートが必要だと思っているわけ

 ではないのですか?
 「・・・・・。
  なんといっても一番いいと思うのは、いろんな条件をクリアした理想な場合

 ですが、われわれにとって今まで受けていた批判が、はっきりといわれのない

 ものだとわかってもらえると思うんです。たとえば冤罪事件などそうですが、

 いかにも自分たちのわけのわからないところで、検察との関係だけで、官僚

 的にわぁわぁやって、ちまちまやってごまかしている、わかりにくくしている

 という目でもし裁判官が見られているとすれば、現実は全然そんなことは

 ないよと。

 ・・・・・。今よりは精密さは欠けるでしょう。こまかい事実認定がどうなるかと

 いうと、若干はラフなものにならざるをえない。・・・・・」。

 ─ 最高裁事務総局はもろ手を挙げて、司法改革に参加するでしょうか?

 「それはわからないし、最高裁というのは辛いところがありましてね。・・・・・。

 一歩引いた立場でやらざるをえない。もともと裁判官はそういう立場です。

 いくら判決を批判されても弁解しない。そういうものです」。

 ─ しかし日本の先行きが不透明な今、国民ははっきりとした言葉を求めて

 います。・・・・・。

 「そこに関しては個々人の考えや裁判官の独立からいろんな発想があるで

 しょう。・・・・・。

 おっしゃることはわかります。社会にそういうニーズがあるのもわかります。

 だけども、私たちがここで考えなければならないのは、日本の裁判所は

 民主的正統性がどこにありますかということです。アメリカの裁判官を褒める

 言葉は GOOD POLITICIAN です。日本の裁判官なら政治家と呼ばれて

 怒るでしょうし、国民も違和感がありますよ。そのぐらい違う。・・・・・。

 ただ、私は堅いかもしれないけれど、しゃかいのムードや流れがあるにしても、

 裁判官は一歩せめて半歩は少し後ろでやっていくようにしなければいけないと

 思いますね」。


 --------------------
 ハンセン病訴訟熊本地裁裁判官を語る

 そこで、この裁判の原告代表団の八尋光秀弁護士のインタビューを通して、

 この裁判の経緯と裁判を担当した杉山正士裁判長、伊藤正晴裁判官

 (右陪席)、渡部市郎裁判官(左陪席)の仕事ぶりを聞いてみることにした。

 ─ 今回は裁判官と事件の組み合わせがよかった?

 「やはり事件の大きさと力です。・・・・・」。

 「・・・・・。ハンセン病に対する差別や偏見を、病気そのものが作ったのでは

 なくて、政策や法律がつくったのだというためにずっと積み上げてきている。・・・・・。

 手堅い。すごく手堅い判決です」。

 ─ 杉山正士という裁判長は勇気のある人だったんでしょうか?

 「事件の大きさがあの判決を書かせたんでしょう。・・・・・。やっぱり説得の

 前に感じるってことが必要です。・・・・・」。

 「・・・・・。

 裁判官を動かすのはやっぱり正義感です。

 ・・・・・。

 川辺川の行政裁判では国を勝たせる判決を書いているし、これまでこういう

 国を大きく負かす判決は書いていないんじゃないでしょうか」。

 ─ 判決が出た時、原告弁護団代表として、どんな気持でしたか?

 「・・・・・。

 この判決と控訴断念のどこが良かったと言えば、『書きたいことを書けば

 市民が評価してくれて、世論がついてくる。判決に感動してくれる』ということを

 裁判官に伝えられたことですよ。裁判官は今まで、自分たちのところにあまり

 市民はついてきていない、と思ってた。・・・・・」。

 
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 (抜粋)

 《座談会》
 市民に開かれた司法をつくる
 二一世紀の裁判と裁判官

 青法協批判

 一九七一年に宮本判事補に対して再任拒否があったが、その理由が

 青法協会員であることを間接的に認める発言を最高裁事務総局はした。

 これを契機に最高裁事務総局による裁判官に対する統制が強化され、

 現在に至る。

 

 馬場健一(ばば・けんいち) 神戸大学教授
 
 浅見宜義(あさみ・のぶよし) 大阪高等裁判所事務職代行

                   (大阪地方裁判所判事)

 毛利甚八(もうり・じんぱち) フリーライター・司会


 馬場 法学者などは戦前戦後でそんなに激しく変わってないですね。

 ・・・、戦争中に『法律時報』なんかで「学生を出陣させてなんやかんや」と

 戦意を煽っていた人が、戦後なんら反省もなく、新しい体制の中で

 「新時代をしっかりやっていこう」みたいなことを平気で書いているわけ

 です。

 馬場 新しい時代の中でもうまいこと裁判官のまま続いていければ

 いいなという人がわりあい多かったのではないですか。

 浅見 いつの時代でもそうなのです。安全に過ごせるかどうかが。まさに

 今がそういう時代なのです。


 浅見 改革派として戦後抜擢され、最後の大審院長をした細野長良

 という人です。この人の評価は分かれるでしょうが、司法の歴史を

 学ぶために、ぜひ皆さんに知っておいて欲しい人です。この人は、

 戦争中、広島控訴院長の職にあり、時の東条首相が司法部に頭の

 切替等を要求した時、抗議文を送りつけました。


 浅見 細野さんに反対する人たちは、絶対に細野支持勢力を勝たしては

 いけないということで、自分たちなりの正義感を持っていて全国行脚して

 選挙運動をやるわけです。

 ・・・・・。その後は、最高裁判事の選任は最高裁のおぜん立てで内閣が

 指名するというふうなかたちになってしまいました。

 毛利 ・・・、世代論を持ち出しています。要するに若い人と歳とった人と

 が情報が共有していないのです。

 馬場 ・・・・・。

     彼らはそのまま戦後の新しい体制の中で生き延びていく。

     自分たちに都合のいいような歴史ばかりを語ってきた。文献の

     中でもそういうかたちで法社会学史は語られていて、・・・。

     だから学者でも同じように自分たちの過去についてえぐって

     いくというか、反省していくような気運というのはあまりなくて、

     やはり自分たちの足元を「自分たちは弾圧された、自分たちは

     苦労したんだ」という話はしても、「自分たちは悪いことをした」

     もしくは「自分たちはこういうふうにごまかしてきた」みたいなことを

     十分総括していない。法学者は多くのところがそうだと思う

     のです。・・・・・。
 
 毛利 日本の体質ですか。
 
 馬場 ・・・・・。やはりドイツというのはまわりに同じような民主主義国が

     戦前からあって、その間の力関係もわりあいバランスがとれて

     いた。

 
 浅見 ・・・・・。

     それはドイツの政治状況とか連邦制度であるとか、東に対する

     ショーウィンドゥでなければいけないことなどが影響しているようです。

     彼らにとっては司法の民主化を否定できない社会なのです。

      ・・・・・。

 毛利 それは七〇年ですか?

 浅見 七〇年頃ですね。*宮本再任拒否問題が起きるのがちょうど

     七一年ではないですか。

 毛利 ドイツと日本の分岐点はどこにあるのでしょうか?

 浅見 ・・・・・。

      個人主義みたいなのがどれだけ社会に息づいているかというところ、

     最後はそこが一番違うところだと思うのです。

 毛利 さっきまわりに国があるという話もそうですが、権威がいつも隣の

     同じようなもので試されている状態なわけでしょう。国と国が隣に

     あって違う政治をしているとすれば、その政治はつねに両方から

     試されているわけです。・・・・・。日本はわりと権威というものが

     一つに向かって集中して敵対するものがない。・・・・・。

     ライバルがあまりいなくて百姓一揆みたいなかたちでしか抵抗

     できない。

 浅見 暴発みたいな感じです。異分子とか違う考え方をする人に対する

     アレルギーというのはドイツとか諸外国に比べて強いのかなという

     感じがします。・・・・・。

     違う人の考えを認めるといってもそんなに長い伝統があるわけでも

     ない。裁判官の中でも、理念的には違うものを認めるといっても、

     違う考え方する人に対してどういう態度をとるかというというのは

     国や社会全体の文化的な影響を逃れられないと思うのです。

 馬場 給料の四号棒が三号棒になるならないとか、小さな話ではないか

     という気もするのだけれども、そういう組織の中でつねに順序

     づけられて他の世界との交流もなければ、視野が狭くなってしまって、

     まさにそういうところで自分が測られるということにものすごくプライドを

     傷つけられるようなある種循環ができていて、・・・。

 浅見 報酬格差を生む*三号問題というのは、つらいですよ。


 浅見 閉鎖社会ゆえでしょうね。・・・・・。明言はしないけれど、とにかく

     「できるだけ外の人とは遠慮して」とか、「裁判官とか書記官を

     通じて世の中を学ぶ」、「それ以外のことはできるだけ消極的に」

     みたいな雰囲気があって、・・・。

     組織の内部だけで育っているという性格が非常に強いので、・・・。

      だけど同僚に比べたら自分だけが一人そんな目に遭っていると

     思ってしまうのです。・・・・・。「なんでおれは違うのかな」とどうしても

     思うのですよね。そのことは非常にみんな心のダメージになる

     可能性が高いです。


 毛利 倉田氏(東京地裁判事・倉田卓次、座談会「裁判と裁判官」)は

     「・・・・・。裁判制度に国民が求めているものからいうと、初めから

     結論が出てしまっているような形の人が裁判するということは

     やはりいけないのではないだろうか」と語っています。

 浅見 日本の裁判官というのはキャリア裁判官の中でも「日本的」

     キャリア裁判官なのです。・・・・・。その特徴は「閉ざされている」

     というのが一番です。

     僕ら裁判官研修とかで一番「学べ、学べ」と言われたのは小説

     ですよ。それだったらだれにも触れないからいいのです。小説と

     書記官、事務官。そういうものから学ぶ。実はそれが一番安全

     なのです。

 馬場 僕は法律家の知恵というか、賢慮というものの価値を重視する

     立場で、社会が裁判官をそういう価値の担い手として見る必要が

     あると考えています。すなわちこれは、外である裁判官がどんなに

     跳ね上がったことを言っていても、別に青法協であろうが共産党

     支持であろうが、好き勝手なことを言っていようが、その裁判官が

     法廷の中で出す判決、判断とは別ですよちうことを人々が受け

     入れる必要があるということで、それが社会の成熟だと思うのです。

     ・・・・・。
     外でいろいろな発言していても、判決の中では法の論理なり何なり

     をちゃんと納得のいくかたちで枠組みにしたがって出す。そして

     それをそれを世の中の人が違憲判決であろうが判決として受け

     入れる。そういう望ましい状況をつくるべきだし、現にそこに向かい

     つつあると僕は思うのです。裁判官の市民的自由は社会の成熟の

     バロメータであると思う。
 
 浅見 ・・・・・。

     「体制側か反体制か」そういう言葉がたびたび出てくるでしょう。

     どっちの立場に立つのかと。今の言葉でいうろ、「どっちの立場で

     旗を振るのか、旗を立てろ」と。

 馬場 ・・・・・それは憲法を守るという主張が特定の政治的立場と必然的に

     結びついてしまったことです。「私は憲法を守る」と言い、「法と憲法

     にしたがって」判断を下すのは裁判官の当然の、少なくとも近代社会

     の一般論では当たり前のことですね。だから「青法協という法律家

     集団が憲法を守ると主張するのは当たり前のことじゃないか」と

     言われることがあるけれども、政権政党が憲法を変えると言って

     いて、護憲政党というのはだいたい革新で、そういう政治的構図の

     中に自動的にはめこまれてしまうような言論の布置というか構図

     みたいのがあった。・・・・・。ここでは法の論理が政治的な議論なり

     構図と一緒になっているわけです。それが法的な価値であると

     同時に戦後の中では特定の政治立場というものと非常に近い

     言論の構造になっていて、それはイコール反体制になってしまう

     わけです。憲法を守るというのは本来体制的な主張のはずなのに、

     それが反体制になるという「ねじれ」みたいなものがあって、それは

     個人の良心やらいろいろな人の思いを吹き飛ばすような非常に

     乱暴な構図だった。

     そういう中でいろいろな人たちの生き方みたいなものが強引に

     色分けされていくという構造、メカニズムがある。・・・・・。結局は

     そういう政治の大きな流れの中で流されざるをえないという実存的な

     状況を感じるのです。

     ものすごく大きな歴史の流れの中で、いろいろ苦しんだりしている

     人たちの姿を見ると、「だれが良かった悪かった」と論じること自体が

     非常に傍観者的で無力だと、歴史の力学というものはそういうもの

     かなというふにも思います。


 馬場 そういう中で矢口さん(矢口洪一判事 やぐち・こういち 司法の

     官僚統制を仕上げた長官だといわれるが、最近は、法曹一元、

     国民の司法参加に積極的な発言が目立つ。)のような人が出て

     くるかと思えば、Jネット(日本裁判官ネットワーク)が出てきて力が

     抜けてきている。法と政治というものが一体化していた状況から

     時間が経って安定してきた中で、市民社会的な言論をつむぎ出す

     雰囲気がわりあい出てきた。

 浅見 ・・・、理論的な裏づけとしては「公正らしさ論」、それを裁判官会議

     かなんかで決めて、それでずっと殻を閉じていくというか、シャッターを

     下ろしていく歴史です。それが裁判所だけでなく裁判官そのものも

     閉じていくということ、それが日本的キャリア裁判官を生んでいった

     のではないかなという気がします。

 馬場 ・・・、本当にそれが良かったのかというのが一つ。それから本当に

     外部にだけ責任があるのかと。内側でも「ああいう判決はとんでも

     ない」とか、「あるべき裁判所、裁判官の姿じゃない」と主体的に

     弾圧した部分が絶対にあるはずだから、そこの責任を曖昧にしては

     いけないですね。


 浅見 市民性はないけれど政治性もない。大工さんみたいな存在です。

     ・・・・・。

     「公正らしさ論」に極度にとらわれた裁判官で、閉ざされた存在で

     あるというのが日本のキャリア裁判官のように思います。・・・・・。

     職人であっても、やはり「官僚」裁判官ですから、この点が問われて

     います。

 浅見 ・・・、では対世間に対して変化があったかというとなかなかそこまで

     いかなかった。そのために問われたのが今回の法曹一元論では

     ないかと思います。

     そこでは常識論とか当事者体験が問われました。・・・、等質性とか

     統一性が日本の裁判所の特徴だと言いきりました。・・・・・。

     しかもその背景にはやっかいな日本文化論があるわけです。

 浅見 日本は均質性な裁判を保証してきた。


 毛利 もともと司法改革は経済界の要請があったわけですね。社会が

     変わってきているので裁判の効率も良くして裁判所をきちっと

     しなければという財界の考えと、司法の冬以来続いている裁判官の

     不自由さを克服したいという考えが今は一緒に語られています。

 馬場 視点が違って見方が違って要求するものが違うかもしれませんが、

     財界が「もっと裁判をうまくやってくれよ」と言うのと、日弁連が別の

     方向で言うのと、市民が何か言うのと、方向が違っているだけで、

     「財界は本当は日弁連つぶしだ」とか「人権保障をないがしろにし

     司法を最終的には自分たちの手先にすることをねらっている」

     などという議論はもういいかげんにしてくれと思います。

 毛利 そう思っているのではなくて、目的が最初それで始まったのに、

     昔からあった、伏流のようにあった裁判官人事の問題とか

     いろいろなものが一緒に波に乗って改革の中に混ぜられている

     でしょう。だけれども、最後には最高裁が強引にそれを取り除く

     ことだってないのかなという気持があるのです。

 馬場 最高裁にそんな力があるのかな。

 浅見 心配は的外れではないとは思うのです。・・・・・。法の支配とか

     法律の役割が大きくなるような社会の中で裁判官はどうあるべき

     かというのは連続している議論なのです。・・・・・。大きな司法の

     社会のなかでは裁判官はもっと市民的基盤を大きくしないといけない。


 馬場 日本裁判官ネットワークにオリックス社長(当時)の宮内義彦氏に

     上手に関わってもらったのも浅見さんのそういう考えと手腕ですね。

 浅見 僕は宮内さんと接してみて、とても大人だし大物だと思いました。

     経済合理性を持って発言はされているのだけれど、それだけでは

     ない何か先を見通しておられるところがあると思いました。

 馬場 本当の大物が出てほしい。今はやり方が姑息ですね。学者や

     退官者を使って代理で発言させたり、判事補に発言させたり。

     裏で糸を引いているのは最高裁か司法研修所の誰かでしょうが、

     自分は責任をとらないわけです。とらないで書かせる。

 毛利 そうやって中心(最高裁)から発信していないように見せかけて

     いるわけですね。

 浅見 その原因をさかのぼると最後はキャリア裁判官に行き着くところが

     あります。


 浅見 日本裁判官ネットワークの前身となるコート21という組織を作った

     のは・・・。

     僕個人が一番「すごい裁判官がいるな」と思ったのはヴァッサーマン

     というドイツの裁判官です。

     言葉はきついかもしれませんが、日本の「縮こまった」裁判官の

     対照物を見せてもらったような思いがあって、とてもショックでした。

     ・・・・・。考えや生き方、行動原理、雰囲気等いろいろ異なるタイプの

     裁判官が裁判所をつくっていて、それでも裁判所や社会、国として

     まとまりをもっているわけです。

     ・・・・・。コート21という研究会を作りました。

     ・・・・・。一人だと孤立してしまうのでということで、団体結成に向けて

     ずっと研究してきたわけです。

 浅見 ・・・・・。ただ、今回の司法改革が従前と決定的に違うのは経済界が

     言い出したという、ある意味での安心感があったことが勇気につながり

     ました。これは社会全体の動きになる可能性があると思ったのです。

     日本裁判官ネットワークの立上げは一九九九年(平成一一)年九月

     一八日でした。・・・・・。そのため、外に対してできるだけ開かれた

     ものにしたいということ、・・・・・。

     基本的には協力、競争でいくことにしました。

     キャリア裁判官の自己改革というものをかなりベースにしている

     日本裁判官ネットワークの姿勢ではないかと思います。・・・

     開かれてた裁判所というのは裁判所が開かれてることと、裁判官が

     開かれていることを意味し、・・・。

 馬場 ・・・・・。

     しかし自己改革を言わない組織や個人の主張はどこかウソくさい

     のです。

 浅見 位置づけとして一番大事なのは裁判官制度の改革と裁判員制度です。

 馬場 ただ評価・人事の透明化に関しては、最高裁事務総局の裁量的な

     権力を小さくする積極面だけでなく、裁判官にたいへん厳しい改革

     であることも理解しておかなければならない。


 毛利 司法制度改革の、裁判官にとっての目的は何ですか? 裁判官は

     幸せではないのですか? 裁判官が裁判制度を考えていくのは、

     国民のための司法という高貴な目的もあるけれども、裁判官という

     人間の幸せというものも含まれているのではないですか?

 馬場 機構を変えないといけないので、歴史的につくられたものを頭を

     切り換えれば終わりだというようにはならない。

 毛利 裁判官は特別に優れた者であるという思いが裁判官にあり、政治的に

     差別されていても、「仕事そのもので弱音を言ったら最後だ」という

     ところがあって、その意識が過剰な仕事を支えている。
 
 馬場 やはり誇りでしょう。世の中に裁判官ぐらい偉い仕事はないです。

 馬場 それだけの重責だからこそ、生活を犠牲にしながら追い立てられる

     ようにその権限を行使するというのでは絶対にいけない。

 毛利 ということは裁判官が言う前に回りの市民が言わなくてはいけない

     のかな。裁判官に徹夜をさせない会を作るか(笑)。

 浅見 ここ何年か文脈の中で弁護士会なんかも「忙し過ぎる裁判官」という

     ことで人数を増やそうと主張しているのですが、裁判官としては弱音を

     吐きたくないというのが非常に強いようです。弱音を吐くことは自分が

     能力がないとか、・・・。裁判官の人数を増やし、一人当たりの仕事を

     減らすということになると当然給料も下がるだろうということを考えて

     いる人もおられるみたいです。今のように少数精鋭で、しかもたくさん

     仕事をやって、給料も高いほうがまだいい。これが人数が増えて

     有象無象の人が入ってきて、言葉悪いですけれど、質も低下して、

     ・・・・本音のところで実は増やしたくないと言っている人もいるのです。

 馬場 その「効率」とか「処理」とかいう言葉に僕は抵抗があります。・・・、

     こうした「効率的な事件処理」という用語からは、裁判官の職責の

     「崇高さ」の「す」の字も感じないのです。

     ・・・、本来裁判官がやるべき仕事がどこであって、そのためには

     どういうふうに仕事を組んで人数はどのくらい増やすか、そういう

     大所高所的議論をしないといけないと思う。効率、事件処理という

     言葉自体が、裁判官の仕事を非常に卑しめている感じがするのです。


 浅見 ・・・・・。

     情報が遮断していると思います。実務の伝承はあるのですが、

     裁判所の歴史、裁判官の歴史、とくに苦い体験とかそれによる

     教訓というものは本当に伝承されてないです。

     ・・・・・。

     また若い人も、私たち中堅も、そして先輩裁判官も、社会体制と

     国家体制の変化の中で司法をとらえる視点が非常に弱いと思い

     ます。冷戦構造が社会の中で崩れていっているので、司法でも

     当然崩れつつあると思うのです。

 毛利 やはり言葉がなくなっているのですね。そういう大文字のことを

     語る言葉が。

 馬場 言葉がなくなったというより僕は場がなくなっている感じがするの

     です。若い人たちと前の世代が集まって、伝えるというと「聞けよ、

     おまえら」という感じになりがちではないですか。そうではなく、

     語り合って「実はおじさんも昔はこんなんでね」みたいな昔話という

     のは、そんなに押しつけがましくなければ、知らない世界の話だから

     おもしろいはずだと思うのです。

     ・・・・・。

     裁判所の中にも中と外の間の接点としての場があるべきです。

     そしてこれは裁判所だけの問題ではなくて、あらゆるところに

     今必要な空間だと思われます。

     --------------------

 司法の冬の時代
 http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1975.html
 
 法学館憲法研究所>ときの話題と憲法
 http://www.jicl.jp/index.htmlhttp://www.jicl.jp/now/jiji/index.html

 より抜粋。

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 1975年以降、下級裁判所による違憲立法審査権の行使の事例は

 ぐっと少なくなり、また行政裁判では住民敗訴の判決が続きました。

 司法行政における最高裁判所のイニシアティブが徹底され、司法の

 「冬の時代」と呼ばれる状況が続きます(吉野正三郎「テキストブック 

 現代司法」)。

 

 (中略)

 

 これに対して、政治部門は強烈な危機感を抱きました。その結果

 採られた方策の一つが、政治部門の政策に理解を示す傾向の強い

 一連の最高裁判所裁判官(及び長官)の任命です。最高裁は、73年の

 全農林警職法事件をはじめとする人権制限的な判決の時代へと

 逆コースの道をたどります。もう一つは、個々の裁判官の独立を侵害する

 裁判所内外からの動きです。典型的には、69年の平賀書簡事件として

 現われます。自衛隊が9条に違反して違憲かが争点になった

 長沼ナイキ訴訟を担当する札幌地裁の福島重雄裁判長に対して、

 同地裁の平賀健太所長が、判決の方向性を指示する書簡を交付しました。

 同地裁の裁判官会議は、これは裁判官の独立を脅かす行為だとして厳重

 注意する旨を決議しました。

 

 (中略)

 見逃せないのが、司法行政のみに携わる裁判官がいないことです。

 日本では最高裁事務総局に代表される、司法行政のみに従事する

 エリートが裁判所全体の動きをリードする傾向にあること

 (司法官僚制―「裁判官の『官僚化』」)と対照的です。

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 裁判官とは

 もっと知りたい ニュースの「言葉」【中国新聞】より

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 裁判官(2000年9月11日)

 刑事・民事の裁判や各裁判所の管理、運営事務を担当する国家公務員で、

 法律上は最高裁長官最高裁判事高裁長官判事判事補簡裁判事

 六種類。

 

 憲法はいわゆる「裁判官の独立」を規定しており、国会の弾劾裁判など

 憲法の手続き以外は罷免されず、意に反する異動、職務停止、減給なども

 受けない身分保障がある。
 
 

 現行は原則として、法曹資格を取得当初から判事補に任官、十年後判事に

 昇任する「キャリアシステム」が採られている。

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 『毎日新聞』(2009年8月31日 東京夕刊)より

 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090831dde007010028000c.html

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 ◆最高裁裁判官国民審査の結果◆

 氏名(出身)        罷免要求票数(率%)

 桜井龍子(行政官)   4656462(6.96)

 竹内行夫(行政官)   4495571(6.72)

 涌井紀夫(裁判官)   5176090(7.73)

 田原睦夫(弁護士)   4364116(6.52)

 金築誠志(裁判官)   4311693(6.44)

 那須弘平(弁護士)   4988562(7.45)

 竹崎博允◎(裁判官)  4184902(6.25)

 近藤崇晴(裁判官)   4103537(6.13)

 宮川光治(弁護士)   4014158(6.00)

 ※告示順、敬称略。◎は長官

 毎日新聞 2009年8月31日 東京夕刊

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 < (IE用) >

 
 「正義のかたち」-裁判官シリーズ-『毎日新聞』

 http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/seigi-no.htm
 
 より抜粋。

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 正義のかたち:裁判官の告白/8止 求められる公正さ

 

 ◇量刑に悩み、眠れぬ夜も--人裁くのは、やはり人

 何物にも染まらず、公正に裁きを下す。裁判官が身を包む法服の「黒」には、

 こんな意味が込められていると言われる。

 元裁判官の神田忠治さん(73)は「裁判官は公正らしさが一番重要。法廷で

 泣いたりしたら、被告側に有利だと疑われかねない」と解説する。

 一方で、こうも言う。「能面に見えるかもしれないが、泣きたくなることはある。

 血も涙もないのは裁判じゃない」。死刑言い渡し後に涙ながらに控訴を勧めた

 裁判官もいる。

 

 白鳥事件の審理をきっかけに、証拠を厳しく吟味し、無罪判決も多く出した

 法政大法科大学院教授の 木谷明さん(70)は「極悪非道と言われる被告

 でも人間には変わりない。何カ月も顔を見ていると情がうつるんですよ」と

 語る。それだけに、被害者・遺族が法廷で被告に質問などができる被害者

 参加制度(年内実施)を思うと「(被告と被害者の)両者のはざまのハムレット」

 と、裁判員を思いやる。「人を裁く」のは、やはり人しかいない。

 

 そして人は悩む。報道されないありふれた事件でも、執行猶予を付けるか

 否かで被告の人生は大きく左右される。時には眠れない思いをする、と言う

 元裁判官、荒木友雄さん(72)は、こんな経験を明かす。

 

 自分一人で判決を決める単独事件だった。前夜から寝ずに考えたが、決まら

 ない。法廷に向かう廊下を歩きながら、まだ迷う。結局「被告の顔を見て決め

 よう、と。確か執行猶予にしました」。法廷のドアに手をかけた瞬間に決めた、

 と漏らす現役裁判官もいる。

 

 量刑の前提となる事実認定も悩みが深い。裁判員制度下でも、厳選される

 とはいえ多くの証拠が提出される。「事実認定のためには資料を突き合わせ

 る作業を、しっかりやるしかない」と、元裁判官の河上元康さん(70)。

 そうやって事実を見極め、熊本地裁八代支部時代、免田事件で死刑囚の

 再審無罪を言い渡した。

 

 とはいえ「事実認定の専門家ではない。びくびくしながらやっている」と漏らす

 元裁判官も。市民感覚が期待されている。

 

 ◇  ◇

 

 36年間務めた裁判官から居酒屋店主へ転身。庶民感覚を知る岡本健さん

 (75)は現役時代、人間味あふれる法廷で知られた。

 

 ある公判で、被告の妻が証言に立った時のことだ。乳飲み子を抱えて入廷

 した妻に「抱っこしてもらいなさい」と声をかけ、赤ん坊を被告に抱かせた。

 「本人だってうれしいし、奥さんも安心するでしょ」。もちろん判決に手心は

 加えない。

 

 居酒屋時代、報道された内容で有罪と決めつける客の会話が気になった。

 そんな目で事件を見ないでほしい、と伝えたい。

 「裁判はね、はっきり言えば被告のため。権力側が訴えて、本人に弁解の

 機会が与えられる。

 

 それで証拠を調べて判断するんです。結局、裁判は人が話すことを丁寧に

 聞く仕事ですから」

 

 =おわり

 

 この連載は、長野宏美、高倉友彰、銭場裕司、北村和巳(以上、東京社会部)、

 玉木達也(大阪社会部)が担当しました。

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 裁判員制度へのご意見や連載へのご感想をお寄せください。

 〒100-8051(住所不要)毎日新聞社会部「裁判員取材班」係。

 メール t.shakaibu@mbx.mainichi.co.jp または、

 ファクス03・3212・0635。

 毎日新聞 2008年3月30日 東京朝刊

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 正義のかたち:裁判官の告白/7 死刑への信条、正反対に変化

 

 ◇「廃止は空論」「誤判の危険」--制度存続は国民次第

 判決で死刑を言い渡すことを決断する過酷さは時に信条さえも変える。多くの

 裁判や被告と向き合う中で、正反対に振り子が振れた2人の元裁判官がいる。 

 「死刑なんてけしからん」。元岐阜地・家裁所長の塩見秀則さん(81)は学生

 時代から任官当初にかけてそう思っていた。駆け出しのころ、北海道で裁いた

 殺人事件。死刑を主張する先輩2人を説き伏せ、無期懲役で合議をまとめた

 ほどだ。

 

 だが法壇に座る経験を重ね、次第に変わっていく。「死刑反対は浮ついた

 理想論。実際の事件は、そんなに甘いもんじゃない」と思い始めた。他の裁判官

 の判決に学び、こんな事件ならと、死刑言い渡しの相場もつかんだ。

 

 名古屋地裁で82年、女子大生誘拐殺人の被告に死刑を言い渡した。被害者は

 1人だが、殺害後も生存を装い、しつこく身代金を要求していた。

 

 「ひどいことをやっていると、それほど死刑に抵抗はない」。被告が取り乱さぬ

 よう後回しが多い主文を、普段と同じく冒頭に言い渡した。今も憤る塩見さんは

 「死刑は存続すべきだ」と言い切る。

 

 「再審請負人」の異名を持つ秋山賢三弁護士(67)は、67年の任官後に配属

 された横浜地裁で2度死刑言い渡しに加わったという。どちらも被害者は複数

 で、被告は自白。やむを得ないと納得した。死刑廃止は思いさえしなかった。

 だが、今は、もっと慎重に判断すべきだと思う。転機のキーワードは「誤判」だ。

 初めての死後再審となった徳島ラジオ商事件。裁判官12年目で着任した徳島

 地裁で、懲役刑が確定し仮釈放中だった冨士茂子元服役囚の再審請求を

 担当した。

 

 確定判決のページをめくる度に、これはひどい、と怒りすら覚えた。住み込み

 店員をしていた少年は、冨士さんに頼まれ凶器の包丁を川に捨てたと供述。

 だが、川から包丁は見つかっていない。

 

 後に、検察に強要されたと少年は告白した。

 秋山さんらは再審開始を決定、その後無罪が確定する。その時、冨士さんは

 この世にいなかった。「誤判は取り返しがつかない」。まして懲役刑でなく死刑

 だったら。死刑廃止に傾いた。

 

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 毎日新聞 2008年3月28日 東京朝刊

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 正義のかたち:裁判官の告白/6 釈放後に別の殺人で無期

 

 ◇「判決は無罪しかなかった」 証拠弱く、悔いなし

 

 「判決は無罪しかなかった。3人の裁判官は一致した」。小野悦男受刑者(71)

 に話が及ぶと、荒木友雄・流通経済大教授(72)は複雑な表情を隠さない。

 東京高裁時代の91年、千葉県松戸市で信用組合の女性事務員(当時19歳) 

 が乱暴されて殺害された事件について小野受刑者に逆転無罪を言い渡した3人

 の裁判官のうちの一人。釈放された小野受刑者は5年後の96年、別の女性

 殺人容疑などで逮捕され、99年に無期懲役刑が確定した。

 

 時効で終結した松戸事件の真相は分からない。それでも、週刊誌などからは

 「松戸事件も本当に無実だったのか」「無罪判決がなければ新たな犯行を防げ

 たのでは」とたたかれ、高裁裁判長は「無罪病」と皮肉られた。

 

 転勤していた荒木さんも無関心ではいられない。目頭をぬぐい、裁判長に向か

 って深々と頭を下げた小野受刑者の姿が目に浮かんだ。「晴れて無罪になって

 喜んでいたのに。なぜ?」。怒りを覚えた。

 

 松戸事件は、自白がほとんど唯一の証拠だった。1審は自白を根拠に無期懲役

 としたが、その調書の取り方に疑問を持った。警察の留置場に小野受刑者を

 一人だけ拘置し、連日追及。批判が根強い代用監獄の取り調べの中でも特に

 過酷な状況だと感じた。判決では「自白を強要した疑い」を理由に自白の任意性

 を否定して証拠とは認めず、無罪を選んだのだった。

 

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 毎日新聞 2008年3月27日 東京朝刊


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 正義のかたち:裁判官の告白/5  2度の再審無罪

 

 ◇自らの裁定、異例の謝罪--終生責任負い続け

 

 横浜駅から数駅で降り、何度か坂を上り下りした先に、目指す家はあった。

 閑静な住宅街の木造2階建て。今は別の表札がかかっている。かつてのあるじ

 は元裁判長だった。

 

 40年近く町内会長を務めた男性(80)だけが「町内会顧問をお願いした」

 元裁判長を記憶していた。「定年になって」と転居してきたが、現役時代のことは

 多くを語らなかった。数年後、新聞で名前を見つける。

 <谷口さん、家族関係者に長い間ご迷惑をかけて申し訳ありません>

 「財田川事件」の谷口繁義死刑囚が高松地裁で再審無罪判決を受けた84年

 

 3月の毎日新聞。

 再審前に死刑を言い渡した裁判長のコメントは「顧問」のものだった。

 元町内会長は証言する。「あれから家に引きこもるようになってしまった。

 かわいそうなくらい落ち込んで......。がっくりきたんでしょう」。さらに約1年半後、

 「徳島ラジオ商事件」で、既に病死していた冨士茂子元服役囚が請求し、遺族

 らが引き継いでいた再審の無罪判決が確定。実刑判決を出した裁判長として、

 毎日新聞に再び名前が載った。

 

 <死後であっても無罪判決が確定して良かった。おわびしたい気持ちはある>

 その2年後、元裁判長は病死する。

 

 両事件の再審を担当した判事たちは「明らかに証拠が足りない」「事実認定が

 職業的なレベルに達していない」と批判する。ただ、根拠とした証拠物の鑑定

 結果が科学の進歩で覆るなどの事情があったのも事実だ。

 取材に応じての異例の謝罪。裁判官の鉄則とされる「裁判官は弁明せず」に

 元裁判長は逃げ込むことを潔しとせず、亡くなるまで悩んでいたようだ。

 山田真也弁護士(72)は、徳島ラジオ商事件で元裁判長と合議した裁判官が

 「裁判長とは考えが違う。私たちは間違っていない」と話していたことを覚えて

 いる。また、財田川事件で元裁判長とともに死刑の結論を出した別の裁判官は

 「人間のすることだから結論が変わることもある。当時は最善を尽くした」と言葉

 少なに語った。

 

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 毎日新聞 2008年3月25日 東京朝刊


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 正義のかたち:裁判官の告白/4 安楽死、認める4要件

 

 ◇進まぬ議論嘆く「遺言」--「殺人罪」評議に重圧

 

 判決後も退官後も「裁判長」にとって事件は終わっていなかった。ビデオの

 中で、迫り来る病魔を感じさせない熱い口調で語る。

 

 「近い将来に安楽死の問題が出てくる気がした。議論の材料を提供する意味 

 で、少し踏み込んだ判断を示したんです。判決から10年たちますけど遅々と

 して議論に進歩がない」

 

 終末期医療での医師の行為が初めて刑事裁判になった東海大安楽死事件を

 横浜地裁で裁いた松浦繁さん。殺人罪に問われた医師に95年3月、執行猶予

 付き有罪判決を下した。06年3月に富山県の呼吸器外しを巡り取材を受けた

 テレビ番組の録画ビデオは今「遺言」に見える。約半年後の同11月、松浦さん

 は63歳で生涯を閉じた。

 

 裁判官は法と証拠に照らして事件を裁く。よりどころの「法」にあいまいな点が

 あれば、自ら基準を設定せざるを得ない。終末期医療を巡る事件で言えば、

 百家争鳴の「死の迎え方」についてわずか3人、裁判員制度でも9人で一つの

 答えを決めねばならない。

 

 幅広い議論の必要を感じながらも、密室の評議で決断を迫られる矛盾。「医師

 の行為が良かったのか悪かったのか。市民感覚を聞いてみたかった」。松浦

 さんと共に東海大事件を担当した元裁判官の広瀬健二・立教大法科大学院

 教授(57)は、再び医師が殺人罪に問われた川崎協同病院事件での胸中を

 語る。

 

 広瀬さんは05年、同じ横浜地裁で今度は裁判長として執行猶予付き有罪判決

 を出した。川崎事件は発生から起訴まで4年以上たっていて、事実関係を見極

 める作業で困難を極めた。この経験から「国民参加には大きな意義があるが、

 裁判員制度に向かない事件もある」と見る。

 

 プロの裁判官が悩みや苦労を抱えてきた安楽死事件。殺人罪で起訴され

 れば、裁判員も同じ立場に立つ。

 

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 毎日新聞 2008年3月24日 東京朝刊

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 正義のかたち:裁判官の告白/2  木谷明さん、30件超す無罪判決

 

 ◇「再審開始すべきだと思った」--「白鳥事件」の悔い原点

 

 痴漢冤罪(えんざい)事件を描いて昨年ヒットした映画「それでもボクはやって

 ない」で、周防正行監督が参考にした元裁判官がいる。

 

 「無罪言い渡しに喜びを感じていた、と言ったら監督に驚かれましたよ」と笑う

 法政大法科大学院の木谷明教授(70)。現役時代に30件以上の無罪判決を

 言い渡し、すべて確定した。自分の判断で無辜(むこ)の人を刑罰から解放でき

 たのが喜びだった。有罪判決を出した映画の中の判事の対極に立つ。

 その原点には「幻の再審」がある。

 

 確定した判決の審理をやり直す再審。その開始条件を緩和したのが最高裁

 「白鳥決定」(75年)だ。
 
 ==============

 毎日新聞 2008年3月22日 東京朝刊

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 正義のかたち:裁判官の告白/1  永山事件・死刑判決

 被告の死、望んでなかった

 

 市民も重大事件の判決を言い渡す裁判員制度が、約1年後に始まる。これまで

 刑事裁判を担ってきた裁判官は、何に迷い、正義のありようをどう決断してきた

 のか。その言葉を通じて「人を裁く」意味を考えた。


 被告は事件時25歳。甲斐中裁判官は「若い被告の場合、有利な事情を可能な

 限り酌むことを心がけた」が、死刑回避の事情が見当たらないと言う。才口裁判

 官は「永山判決をよすがにした死刑の量刑基準を、裁判員制度を目前に明確に

 する必要がある」と付け加えた。

 

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 毎日新聞 2008年3月21日 東京朝刊

 国民審査:最高裁長官と8人の判事全員が信任

 『毎日新聞』2009年8月31日 13時8分 より

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 総務省は31日、衆院選とともに投票された最高裁判所裁判官に対する

 国民審査の結果を発表した。審査対象になった竹崎博允(ひろのぶ)

 最高裁長官と8人の判事全員が信任された。有効票に対する罷免を

 求める率(罷免率)はほぼ前回並みの6.00~7.73%だった。

 投票者数は前回より200万7404人多い6945万4375人。投票率は

 前回を1.33ポイント上回る66.82%だった。衆院選の「1票の格差」を

 巡る07年の最高裁判決にかかわったのは9人のうち3人。この中で合憲

 とする多数意見を出した涌井紀夫裁判官が罷免率トップに、同じく合憲

 とした那須弘平裁判官が2位となった。罷免率が50%を超えると罷免

 されるが、過去に例はない。

 (略)

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 国民審査の結果を総務省からファックスしてもらいました。

 最高裁裁判官・国民審査結果/川口創
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 から部分的に抜粋。

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 罷免を求める の総数

 1位 涌井紀夫 517万6090人

 2位 那須弘平 498万8562人

 3位 櫻井龍子 465万6462人

 4位 竹内行夫 449万5571人

 5番 田原睦夫 436万4116人

 6番 金築誠志 431万1693人

 7番 竹崎博允 418万4902人

 8番 近藤崇晴 410万3537人

 9番 宮川光治 401万4158人

 --------------------

 
 ちなみに、この「裁判官ドットコム」のページ内の検索 (ページの
上部に

 ある [     ] 検索窓内)で、名前検索が多かった順です。

 1.金築誠志 43件

 2.桜井龍子 41件

 3.涌井紀夫 17件

 4.宮川光治  9件

 5.近藤崇晴  7件

 5.那須弘平  7件

 

 今週の一言 2009年8月3日 から 抜粋

 >「最高裁裁判官の国民審査」で「平和の意思表示」を
  
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20090803_01.html
  
  法学館憲法研究所
  
http://www.jicl.jp/index.html

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 竹内行夫さんは最高裁裁判官にふさわしくないと考えます。

 竹内行夫さんが最高裁裁判官に任命されたのは、去年の10月。

 去年の4月にイラク派兵違憲判決が出た後に、麻生内閣によって最高裁の

 裁判官に任命されました。

 この竹内行夫さん。小泉首相時代に外務事務次官(外務行政のトップ)

 として、自ら積極的にブッシュのイラク戦争支持や自衛隊のイラク派兵を

 決定し、実行していった外務行政の責任者です。イラク戦争に反対した

 レバノン大使(天木直人さん)を「クビ」にしたのも竹内さんです。

 また、高遠さん達3人がイラクで身柄拘束されたときにも、「自己責任だ」と

 切って捨て、3人へのバッシングを引き起こしました。

 今振り返ってみてどうでしょうか?

 今やイラク戦争についてブッシュ元大統領でさえ「間違っていた」と反省を

 しています。

 そして、イラク派兵については、名古屋高裁が違憲と判断しています。

 竹内さんは、まさに間違っていたイラク戦争を支持し、違憲と批判された

 イラク派兵を進めた張本人です。

 外務行政のトップとして、積極的に平和憲法を蔑ろにしてきた方です

 (なお、「裁判官」といっても、この方は司法試験には合格されていません)。

 このような方に、最高裁の裁判官を任せて良いのでしょうか。

 「平和憲法を守り活かす」意思を伝える。

  「平和憲法を守り活かす」。今回の国民投票では、「竹内行夫」さんに「×」を

 つけることは、「平和憲法を守れ」という「平和への意思」の表れとなると思って

 います。

 「公職選挙法」の対象になりませんので、ビラ配りも自由ですし、投票日に

 投票所近くで街頭宣伝することも道交法違反にあたらない限りは自由です。

 ネット上での運動も自由です。

 人の名前に「×」をつける、ということは「ネガティブキャンペーン」で「品がない」

 とも思われるかもしれません。

 しかし、今回、竹内氏に「×」をつけることは、決して竹内氏個人を誹謗中傷

 したり、攻撃をする「ネガティブキャンペーン」ではありません。あくまで、

 竹内氏が進めた違憲の海外派兵政策への批判する、平和憲法を護り生かす

 方向を選択するという意思表示の仕方に他なりません。

 これは、これまでにない「平和」の意思表示の貴重な機会となると考えます。
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 メディアウォッチ (45) 2009年7月5日 


 光当たる 新たな沖縄 「密約」 裁判の歴史的意義

 ―注目すべき第1回公判と報道が掘り起こす新事実―

 日本ジャーナリスト会議会員   桂  敬  一

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http://www.masrescue9.jp/media/katsura/back_no/katura45.html
 ↑
 >
http://www.masrescue9.jp/media/katsura/katsura.html

 より抜粋。

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 だが、 沖縄返還交渉における 「密約文書」 は、 最終協定締結前に

 書かれたにしても、 協定の内容のある部分に関して、 そこはこう書いて

 あるが (あるいは何も書いていないが)、 実はこういう風に解釈するのが

 双方の約束だと、 最終協定に縛りをかけるものであり、 実質的にその

 不可欠な一部をなす体のものではないか。 交渉の途中経過の事情を

 示すだけで、 最終協定後は捨て去ってもよい文書などでは、 断じてない。

 それが証拠には、 アメリカ側には問題の文書がすべて残っているではないか。

 争われているのは個別の問題だぞ。 余計な一般論で説教垂れるとは何だ。

 思い上がるな。 お前ら、 高をくくって人を見くびると、 ろくな目に遭わないぞ。

 むしゃくしゃしながら、 自分の出番を待っていた。 ところが、 サプライズが

 起きた。 原告・被告双方の代理人代表が立って向かい合い、 裁判長の

 指示の下、 訴状と答弁書について事務的な確認をすませたのにつづき、

 裁判所の事務官が 「それでは原告の意見陳述に移ります」 と述べ、

 裁判長が 「はじめに・・・」 と口を切ったので、 いよいよ自分に陳述を始める

 よう促すのかと思ったら、 彼は 「私から被告にうかがいたいことがあります」

 と話しだしたのだ。

 

 「答弁書の7ページ、 『被告の主張』の項に、 『一般論としては・・・』 と

 ありますね」。 裁判長は、 私が腹を立てた当の文章をそっくり読み、

 「これは、 ただ一般論としてそういうことだ、 ということですか。 本件に

 おける事実関係として廃棄した、 ということですか。 どちらですか」。

 私もびっくりしたけれど、 政府側代理人のほうが、 はるかに驚いたのでは

 なかったか。 被告席に肩をくっつけ合い、 窮屈そうに座っている老若男女、

 19人の政府の指定代理人のなかから、 代表格の白髪頭の男性が立ち

 上がって答えだしたが、 「一般的にはそうであり、 本件の場合もあり得る

 ことではあり・・・」 と、 狼狽を隠さないまま、 何を言っているのか判然と

 しない言い訳をして、 座った。 「それでは、 その点は次回公判で具体的に

 お答えください」。

 

 申し訳ないが私は、 そらみろ、 傲慢の罪に天罰が下ったと、 内心快哉を

 叫んだ。 だが、 もっと驚くことが生じた。 「つぎに二つ目としてお聞きしたい

 ことがあります。 本件において問題の文書が廃棄されたとしたら、 その理由を

 納得のいくようにご説明ください。 これも次回、 お願いします」。 裁判長、

 そこまでやるかと、 私は驚きを超えて、 彼の顔を呆然と眺めるだけだった。

 しかも、 まだつづきがあった。

 

 「原告の訴状等からみて、 原告が、 本件の外交交渉における 『密約』 と

 して問題にした文書を、 日本政府が保持していた蓋然性は高いと理解でき

 ます。 とくにそれらに対応すると思われる米国側文書が発見されていること

 から、 そのように推定できます。 『密約』 というものがないのなら、 日本側が

 もっていないとする問題文書に対応する文書を、 なぜアメリカ側はもっている

 のでしょうか。 三つ目のお願いは、 その合理的な理由を、 納得できるように

 説明していただきたい、 ということです。 次回公判でご説明ください」。

 

 私は、 もはや裁判長を、 感嘆というより、 ほとんど尊敬するまでの気持ちに

 なっていた。 裁判長が第1回公判の冒頭でこれだけの疑問点を明快に示し、

 その解明をあらかじめ行うとする意向を示すのは、 よほどのことではないか。

 公正な審理を尽くそうとする誠実さが感じられた。 こののち、 私は、 裁判長の

 指示に従い、 以下の意見陳述を読み上げた。

 

 (中略)

 

 翌6月17日の新聞は、 杉原則彦裁判長のこのような積極的な訴訟指揮に

 注目、 まず朝日が、 社会面2番トップ、 5段抜きの扱いで第1回公判の

 もようを詳しく報じたほか、 これほど大きな記事ではないが、 毎日、 東京新聞

 なども足並みを揃えて報じ、 地方紙も共同通信の配信をもとに、 それぞれ

 沖縄 「密約」 裁判の新しい展開について報道した。 もちろん沖縄タイムズ ・

  琉球新報の地元2紙は、 独自取材で異例の公判の詳報を、 力を込めて

 行った。

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 <外部リンク>
 
 ふじふじのフィルター にて
 
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/
 
 国民審査―私が「×」をつける最高裁裁判官はこの人たちです。
 
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-0316.html

 から抜粋

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  近藤崇晴(こんどうたかはる)

   1、植草氏えん罪事件の上告棄却を決定した。

   2、第三小法廷なので、和歌山カレー毒物混入事件で、犯人と特定する

     証拠がないのに、状況証拠だけで死刑判決に、全員一致で加わって

     いる。

 
 櫻井龍子(さくらいりゅうこ)

   ・御殿場事件の上告棄却を決定した。これも広報には書かれていない。


  竹内行夫(たけうちゆきお)

 

  涌井紀夫(わくいのりお)

  ・平成20年3月6日 第一小法廷 住民基本台帳ネットワークシステムによって

  行政機関が住民の個人情報を管理等する行為は、憲法13条に違反しない

  (全員一致、裁判長)。


  田原睦夫(たはらむつお)

 1、第三小法廷なので、和歌山カレー毒物混入事件で、犯人と特定する証拠

   がないのに、状況証拠だけで死刑判決に、全員一致で加わっている。

 2、「校長が、小学校音楽専科教諭に「君が代」伴奏をさせる職務命令は、

   特定の思想の強制や禁止にあたるとは認められない。職務命令は

   憲法19条(思想・良心の自由)に違反せず、教諭はこれに従う義務が

   ある。」との判決に多数派として加わっているかも。

 

 X 那須弘平(なすこうへい)

  1、平成19年2月 「校長が、小学校音楽専科教諭に「君が代」伴奏をさせる

    職務命令は、特定の思想の強制や禁止にあたるとは認められない。職務

    命令は憲法19条(思想・良心の自由)に違反せず、教諭はこれに従う義務

    がある。」と判決した。(多数意見(補足意見不可)、裁判長)

  2、平成21年4月 和歌山カレー毒物混入事件で、犯人と特定する証拠が

    ないのに、状況証拠だけで死刑判決を下した。(全員一致、裁判長)

  3、佐藤優被告の有罪確定へ 最高裁が上告棄却

 

  竹崎博允(たけさきひろのぶ) 最高裁判所長官

 ・最高裁長官に竹崎博允氏  裁判員制度で異例抜てき